院長ブログ

ベンゾ

2018.7.22

ベンゾジアゼピン系の睡眠薬・抗不安薬はいろいろと問題の多い薬だけど、一番大きいのは、依存性と耐性の問題だ。
依存性というのは、平たくいうと、それなしではやっていけない、ということ。
「君のいない人生なんて考えられないよ」という恋人が耳元にささやく甘い言葉は、医学的に表現すると、「私は君の存在に対して心理的依存を形成している」ということだけど、こんな言い方では異性はキュンと来ません笑

ベンゾにハマる依存は、主には身体依存だ。
高校の生物の授業で、恒常性(ホメオスタシス)の維持が生物の特徴だ、と習ったでしょ。ベンゾにハマるということは、恒常性を保つメカニズムにベンゾが組み込まれてしまうということです。
GABA受容体という抑制性神経伝達物質が作用する受容体に結合することで、ベンゾはGABAの効果を増強する。それで、不安が消えたり、眠気を催したりするわけ。
最初はいいんです。
「ベンゾのおかげで発表会を緊張せずに乗り切れた」とか「最近寝つきが悪かったけど、ベンゾで一瞬にして眠りに落ちることができた」とか、ベンゾを初めて飲んだ人は、その効果のすばらしさを実感する。
でも長く服用を続けると、だんだん効かなくなってくる。最初に感じたのと同じキックを感じるには、量を増やさないといけなくなる。これが耐性です。
依存性と耐性にからめとられて、体はベンゾなしでは機能しなくなる。
この時点で患者はベンゾの副作用による様々な体調不良を自覚しているし、ベンゾへの依存も自覚している。「もはや、この薬なしでは生きていけなくなっている。さすがにまずいんじゃないか」
思い立って、一気に断薬するとどうなるか。
体がガタガタと震え出す。汗が全身から滝のように流れ出す。耐え難い不安と緊張、激しい頭痛。致命的な発作が起こることもあるし、離脱症状の激しさに耐えかねて自殺する人さえいる。
急な断薬や減薬は命に関わるので、減薬指導に慣れた医師のもとで、慎重に減らしていかないといけない。
ベンゾ依存は気合とか根性で治せるような、そんな生やさしいもんじゃないんだよ。

海外ではベンゾの危険性が認識されているため、漫然と長期間処方することができないようになっている。
イギリス…4週間以上の処方は禁止
アメリカ…医療保険給付対象外(薬というか「ドラッグ」という認識に近く、欲しい方は自費でどうぞ、といった具合)
デンマーク…不安障害には4週、不眠には2週まで
オランダ…医療給付対象外
イタリア…不安障害には12週、不眠には2週まで
フランス…不安障害には12週、不眠に4週まで

日本では、3種類以上の抗不安薬、3種類以上の睡眠薬は減点されるという、多剤処方を戒めるルールはあるんだけど、期間についてのルールはなかった。
国もさすがに野放しではまずいと思ったのか、2018年から12ヶ月以上の処方が続けば減点ということになったけど、諸外国に比べれば全然ゆるい。

そもそも、医者は薬の始め方については知っているけど、抜き方は知らない。
ベンゾ依存で悲惨な状況になっている人を僕はたくさん見て来たけど、大学病院でも市中病院でも、ベンゾの減薬方法を僕に指導してくれる先生はいなかった。当然の話で、彼らも知らないんだから。
ネットで自分で情報を探していくなかで、アシュトンマニュアルの存在を知ったし、栄養療法的に断薬サポートできることも知った。
個人的に一番役立ったのは、”Evidence-Based Herbal and Nutritional Treatment for Anxiety in Psychiatric Disorders” (David Camfield)という本。ハーブの有効性がエビデンスに基づいて体系的にまとまっている。でも電子書籍なのが難点だなぁ。手元に辞書的に置いておきたい本は、電子書籍じゃなくリアルの本がいい。

減薬を急ぎすぎて患者に苦しい思いをさせてしまったこともあるが、総じてどの患者も僕によくついて来てくれたし、彼らの観察を通じて僕も学ぶことが大いにあった。
どうやって減薬していけばいいか、試行錯誤を通じて徐々に自分なりのスタイルができてきたが、決して完成したとは思っていない。今なお発展途上だと思っている。
たとえばちょっと前に、こんな論文の存在を知った。
(https://www.omicsonline.org/peer-reviewed/efficacy-and-safety-of-sansoninto-in-insomnia-with-psychiatric-disorder-an-openlabel-studyp-40749.html)
酸棗仁湯(さんそうにんとう)という漢方薬でベンゾジアゼピン系睡眠薬の使用量が大幅に減らせたという研究。素晴らしい仕事だと思う。
耐えざる知識の更新が医学であって、常に完成がない。医者であるということは、一生勉強やなぁ。

ミノサイクリン

2018.7.21

ミノサイクリンが統合失調症に効く、などと聞くと、ホンマかいなと思うんだけど、確かにそういうエビデンスはあるんだな。(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18991666)
抗精神病薬単体投与群に比べて、ミノサイクリンも併用した方が良好なアウトカムが得られたという。
これは突拍子もないことではないと思う。
たとえば抗うつ薬は、抗結核薬の新薬を治験しているときに患者が陽気に踊り出したことから研究開発が進んだ経緯があるように、抗菌薬が何らかの機序で精神疾患に影響を与える可能性は大いにありそうな話である。
すぐ思い浮かぶ機序としては、たとえば腸内細菌叢にアンバランスがあっていわゆる悪玉菌が炎症性物質を作っていることが精神疾患の増悪因子だとすると、抗菌薬によってそこが改善されるのかもしれない。

この仕事は2007年に日本の研究者によって報告されて、その後世界各国で追試され、結果が裏付けられた。
2012年には、同じ研究者が「SSRIにミノサイクリンを併用することでうつ病の治療効果が高まる」ことを報告した。単体投与群よりも併用群のほうで、有意に改善した。
提唱されている機序としては、ミノサイクリンの抗炎症作用である。ミクログリア細胞(小膠細胞)の働きを抑えることによって、脳内の炎症が軽減されるのではないかと考えられている。
安保徹先生によると、脳のグリア細胞も肝臓のクッパー細胞も、要するにマクロファージ由来だから、ミノサイクリンが白血球を介した免疫系の暴走を抑えているのかもしれない。

ミノサイクリンに限らず、テトラサイクリン系の抗生剤には抗炎症作用があって、アトピー性皮膚炎にも効くんじゃないかという話もある。(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4910375/)

こういう論文はおもしろいけど、実用的にはあんまり意味がないようにも思う。
甘いものドカ食いしてる統合失調症の患者がいるとして、抗精神病薬とミノサイクリンを併用して、見事、幻覚妄想の陽性症状が消失したとして、さて、それで一件落着と言えるのか。
「症状が軽快しましたね。お薬をやめて様子を見ましょう」とは当然ならない。治癒ではなくて寛解だから、この2種類の投薬は続くことになるだろう。そうだとして、長期的なアウトカムはどうなのか。長く抗生剤を飲み続けるリスクは?
食事含め生活習慣の改善が手付かずだとすれば、結局何も変わらないどころか、長期的には余計ひどいことにならないか。

カスケードの上流を抑える治療ほど、ベターだと思うんだ。
つまり、なるほど、病態の発症機転に炎症が関与しているとして、じゃ、抗炎症薬を投与しましょう、というのでは、火事のところに消防車を送り込むような治療であって、ちっとも根本的じゃない。
そもそも火事を起こさないようにすることのほうが大事なのは明らかで、だからこその食事改善であり、栄養療法なんだ。

2018.7.20

どこ出身だろうがどういう家庭で育とうが、その人の人間としての価値とは無関係だ、というのが現代の当たり障りのない考え方だろうけど、上岡龍太郎は真逆のスタイルだった。
東北なんて人外の土地だと思っていたし、東京出身を鼻にかける人を見れば心底軽蔑した。「東京は田舎者の集まりやろう。生粋の東京人でない人が、東京人ぶってるのが腹が立つ。」そういうことを番組で堂々と言う。
こんなタレントは、今絶対にいない。みんな、自分の好感度を上げるのに必死だからね。
攻撃するのは何も東京だけではない。自分の番組が放送されている関西も攻撃する。「大阪のひったくりは奈良と和歌山から来た奴ら」などというものだから、奈良や和歌山の県議や知事から抗議されたこともある。
自分の出身の京都にも容赦せず、「宇治は京都と認めない」と言った。南の山ばかりの田舎のくせに、平等院があるというだけで都人です、というでかい顔をしている、と。この発言で、宇治市出身のプロデューサーの反感を買い、番組を短期間で降板させられた。
東京に番組を持つようになってからはさすがにそういう露骨な発言はしなくなったけど、基本的にずっとそういう考え方の人だったと思う。というか、彼に限ったことではなくて、京都(特に京都市)出身者には、程度の差はあれ、こういう『京都中心主義』の傾向はあると思う。
ある土地で生まれ育つということは、その土地の言葉や文化、考え方をも吸収するということで、千年の都で生まれ育つということは、いい意味でも悪い意味でも、日本文化のエッセンスの洗礼を受ける、ということかもしれない。
東側に対しては総じて辛口の彼だったけど、西側には別段ノーコメントといった感じで、なぜだろうって思ったら、この人、お母さんは九州出身、お父さんは四国の出身なんだね。それなら悪口も言わんわなぁ。

保身に汲々としているようなタレントばかりのなかで、彼の歯に衣着せぬ物言いは、明らかに光っていた。
見ていて気持ちいいんだな。ズバッと言い切ってくれる爽快感。そして芸人だけあって、シャレも効いている。紳助が師匠と仰いだのもわかるよ。

超能力、占い、霊能力など、非科学的なことが大嫌いな人だった。
オウムによる一連の事件が起こる以前には、視聴率が稼げることからテレビ業界はそういう超能力系の特番をしばしば作ったものだが、上岡龍太郎はそういう風潮に一人、敢然と立ち向かった。
自分の番組にたくさんの占い師を呼んで、いきなりその一人の顔に油性ペンで、×と書いた。「今日、顔に×って書かれると予言できたか?」
占い師は屈辱で顔を真っ赤にして叫んだ。「予言してました!」
別の占い師に、「僕が今からあなたを殴るか殴らないか、わかりますか?」
「上岡さんは常識のある人だから殴らないと思います」
その言葉を聞いた瞬間、「それなら殴る」と殴りつけた。

彼には、霊や超能力など、ありもしないものを持ち出して、人々の不安につけ込んで金を巻き上げている人たちが許せなかった。
この考え方の背景には、彼の子供時代の経験がある。母が乳癌になった。霊媒師や占い師が病床の母に近づき、治りたい一心の弱みにつけこんで、病気の治療と称して多額の金品を奪っていった。結局母は彼が10歳の時に亡くなった。この経験は彼の中でトラウマとなり、非科学的なものに対するいわく言い難い嫌悪感を持つ原因となった。
霊能力者と称する人たちを番組に呼んで、
「霊というものが存在するのなら、なぜバースは広島球場でホームランを打てるのか。おかしいでしょう。原爆で亡くなった怨霊がアメリカ人の活躍を許すなんて、あり得ますか」
と笑いの効いた批判もあれば、
「ここの交差点には交通事故で亡くなったある少年の霊がとり憑いていて、しばしば出没する、と以前番組で霊能力者が言いました。そしたら、なんと、その少年のお母さん、たまたまオンエアを見ていて、以来、その交差点にしょっちゅう行くようになった。なぜだか分かりますか。我が子に会いたいんです。たとえそれが霊であってもいい。霊であってもいいから、我が子に会いたい、その一心で。でももちろん、会えません。いいですか、あなた方が公共の電波を使って垂れ流すデタラメをこんなふうに真に受けて、余計に心を傷つけている人がいるんです」
これはなかなか気持ちの乗った言葉。子供の時に母を亡くした彼には、子供を亡くした母の悲しみが、逆の立場ながらよく分かって、それだけ一層霊能力者が許せない。

「細木数子が幅を利かせているような芸能界には、もう愛想が尽きた」と2000年、芸能界を引退。
以後、公の場にほとんど顔を見せていない。

僕自身は、霊的なこととか超能力の類は信じていないんだけど、そういうのを信じる人は当然いてもいいと思うし、医者目線で言うなら、それを信じることで本当に病気が治るのであれば、大いに活用すればいい。
信じることの力、ってすごく大きくて、EBMで実薬とプラセボ使うのもそれが理由だ。プラセボなのに「よく効く薬だ」と信じて飲んだら、本当に治ってしまう人がいるんよね。
そういう具合に、いわゆる霊能力者の人が、依頼者から信心を引き出して、病気を治したり、人生をいい方向に導くのであれば、それはすばらしいことだと思うんだ。
ただし、そういう信仰の代価として、高額なお布施だとか浄財を払わないといけないとなれば、ちょっとヤバそうだ。
ちなみに、現代人の誰もが信じ込んでいる最強の宗教って何か知っていますか?キリスト教?イスラム教?違います。
それは、現代医学です。
癌ともなれば、高額なお布施と引き換えに、白衣を着た祭司が、メスとか抗癌剤という宗教道具を使って、大真面目な顔して儀式を行います。
そういう儀式から生還する人はごくまれで、多くの方はそのまま人身御供となります。

人間が死んだらどうなるのか知らないけど、仮に死後の生というものがあるとして、あの世の友人らに「いわゆる代替療法をやってたら治ってたのにね。抗癌剤なんか使ったがために寿命縮めちゃったね」って本当のことを言われたら、どう思うだろう。「死んでも死に切れん。あの医者、許せん。化けて出てやる」ってならないのだろうか。
僕の母の癌を担当した先生は、フェラーリの最新型が出るたびに買い替えたり、冬場は南国でバカンスを楽しんだりっていう具合に、人生をこの上なく満喫してるみたいだから、患者の霊に呪われているなんてことはなさそうだ。
ちょっとぐらい霊からお灸据えられたらええねん、って思うんだけど、人間いっぺん死んだら、誰のせいで自分は死んだとか、もうどうでもいいのかもしれないな。原爆の霊にとったらバースがホームラン打とうがどうでもいいように。

アルコール

2018.7.19

アルコール依存症の人というのは、世間の人が想像している以上に多い。
厚労省の統計によると、ICD-10診断基準によるアルコール依存症者は109万人、アルコール依存症予備軍(AUDIT15点以上)が294万人、多量飲酒者(飲酒する日には純アルコール60g以上)が980万人、リスクの高い飲酒者(1日平均男性で40g以上、女性で20g以上)が1039万人である。

つまり、「診断上、明らかにアルコール依存症ですよ」と言われた人は、ざっと100人に1人。
アルコール依存症になるリスクのある人というのは、2000万人以上、おおよそ6人に1人もいるということだ。

6人に1人ってすごいと思いませんか。家族や親戚の顔を思い浮かべてください。6人ぐらいすぐ思い浮かぶでしょ。そのうち誰かがアルコール依存症になるかも、ってことです。
世間一般の人は「精神的に弱い人とか自制心のない人がなる病気だ」と思っているかもしれないけど、アルコール依存症は決して特殊な病気じゃない。
お酒は全くダメで、一滴も飲まない、という人はさすがにならないけど、そうでもない限り、基本的には僕らの誰しもがなりうる可能性のある病気だ、ということは認識しておくべきだろう。

個人的には、アルコール依存症に対して精神療法やAA(断酒会)はあまり意味がないと思っている。意味が全くない、とは言わない。特に断酒会の場で、自分と同じような症状で苦しんでいる人の言葉は、本人にとって重く響くことだろう。
しかし、「お酒飲んじゃダメですよ」「うん、わかった。頑張ります」的な、ただの言葉で治るほどこの病気は甘くない。
ダメと分かっていても飲んでしまう。仕事を失い、家族がバラバラになり、金銭的にも破滅する、そういうことが分かっていてなおやめられない。
それがこの病気の恐ろしいところなんだ。
酒をやめるためには、意思の力はもちろん要るが、それだけでは治らない。
一時的に我慢できたとしても、いつかスリップ(飲酒再開)するだろう。

アルコール依存症は精神疾患ではなく、内科的疾患だ。(というか、すべての精神疾患は内科的疾患だ。)
だから、AAに通い続けてどんなに内省を深めたところで、栄養状態の改善に取り組まなければ、根本的な回復は見込めない。
「アルコール依存症というのは、ペラグラ(ビタミンB3欠乏症)のことだ」と指摘している論文もある。(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/24627570)
アルコール依存症にはナイアシン(ビタミンB3)が著効する。これは、プラセボを使った比較試験がたくさんあって、科学的なエビデンスは十分に確立している。

ホッファー先生によると、ナイアシンのサプリがアルコール依存症に有効であることは、患者の臨床経過を見ていれば明らかだった。
しかし、「私がナイアシンを投与した患者は皆、アルコール依存症から見事に回復した」とどれだけ主張したところで、反対派は納得しない。「そんなものはただの症例報告であって、科学ではない」というわけだ。
だから、反対派を黙らせるには、実薬とプラセボを使った比較試験というのがどうしても必要になる。
「実薬(ナイアシン)投与群の何人中何人が回復し、プラセボ投与群の何人中何人が回復した。だから、明らかに実薬が有効でしょ」という具合に証明しないといけない。
ここで、ホッファー先生、頭を抱えた。なぜって、ナイアシンには、ホットフラッシュの副作用があるから。
ナイアシンを初めて飲んだ患者の多くは、顔や首もとがポッと赤くなってしまう。これはナイアシンが末梢でヒスタミンの遊離を促し、血管が拡張することによるもので、実害は特にないんだけど、初めてこれを経験した人は事前にこの副作用が起こり得ることを知らないと、びっくりする。半減期は90分くらいだから、数時間もたてば消えるし、初めて使った時が一番強く出て、その後は段々出なくなる。
そういうわけだから、ナイアシンの有効性を示すためにプラセボ対照二重盲検を行いたいんだけど、実薬(ナイアシン)群にはホットフラッシュの副作用が出るから、患者にも観察者にも、誰がどっちを投与されているのかがばれてしまう。これでは対照試験の意味がない。
悩んでいたホッファー先生のもとに、新しいニュースが入ってきた。ナイアシンアミドのサプリメントが大量生産できるようになった、という知らせだ。
ナイアシンアミドは、ナイアシンの副作用であるホットフラッシュが出ないように修飾されている。これなら二重盲検が可能だということで、ようやく実薬群の有効性を確認できた。

ナイアシンアミドは、ナイアシンの唯一の副作用であるホットフラッシュが出ないのがメリットだけど、ナイアシンより全般的に優れているかというと、実はそうではない。(そうでなければ、ナイアシンのサプリは市場から淘汰され、かわりにナイアシンアミド一色になっているだろう。)
たとえばナイアシンにはコレステロールを適正化する作用があるが、この作用はナイアシンアミドにはない。
コレステロールとか中性脂肪が高い患者には、副作用の多いスタチンよりも、断然ナイアシンがおすすめだ。ナイアシンには副作用どころか、メリットしかない、と言ってもいいぐらいだからね。(ホッファー先生は、ナイアシンの副作用は「長生きしてしまうところ」と言っている。)
それに、ナイアシンのすごいところは、コレステロールが病的に低い人に対しては、コレステロールをむしろ上昇させるところだ。スタチンみたいに、下げる一方、というんじゃないんだ。だから、健康のためにナイアシンをとり続けたとしても、コレステロールが下がりすぎて困る、ということはない。適正値に落ち着くはずだ。

「アルコール依存症に効くことが明らか?じゃあ、何で私は、ナイアシンのことを他の先生から聞いたことがないの?」というのは、当然の疑問だろう。
1973年、APA(アメリカ精神医学会)は、ホッファーの提出したデータを棄却し、精神疾患(アルコール依存症、統合失調症含め)に対するナイアシンによる治療法は承認しない、と表明した。むしろ肝臓への毒性がある、と。
ホッファーは当然反論したが、まともに取り合ってもらえなかった。

有効性を示すエビデンスは無数にある。(google scholarで「niacin schizophrenia」とか「niacin alcoholism treatment」で検索すると、山ほど文献が出てきます。)
でも、公的な治療としては認められていない。
ひどい話だと思いませんか。
ビタミンで病気が治っては困る人たちがいて、彼らは、患者を真に救う治療法は認めない。もちろん背景には、抗精神病薬を売りたい、コレステロール降下薬を売りたい、っていう経済的動機がある。
これってね、患者の皆さん、怒っていいレベルの話なんですよ。
ベターチョイスがあるにもかかわらず、それを使っていないという、医療の不作為なわけだから。

そもそも医者は学校教育でナイアシンが統合失調症やアルコール依存症に効くということを教わっていない。仮に患者から集団訴訟みたいなのを起こされても、悪意による不作為ではないから医者側が負けることはないだろうけど、医者は自分の無知を恥じるべきだとは思う。ネットのあるこの時代、医者よりも患者のほうが自分の病気のことをよく調べてて、医者よりもはるかにビタミンのことに詳しいことも多い。
いい加減、医者のほうが自分で気付かないといけないと思う。自分たちの受けてきた教育は、本当に正しいのか。本当に患者のためになっているのか。
でないと、患者に置いて行かれると思う。

物理

2018.7.18

「子供の頃は物理学者になりたかった。
わけのわからない現象に満ちた世界が、物理の公式を使えば実にクリアに説明できるところが、何とも言えず美しくてね。
物理の問題集って、あれは実に、麻薬だよ。本当にハマっていた。
何が魅力って、万能感だよ。
問題文を読み、問題のエッセンスを図示する。式を作り、論理を進め、結論を導く。
僕の右手のなかに論理がしっかりと握られていて、ペン先を通じて、紙の上に世界を紡ぎだしているような感じだ。
論理の翼に乗っていけば、どこまででも行けるような、すべてを解明してしまえるような気さえした。
微積分法を創始したニュートンは、自分のことを神のように思っていたって読んだことがあるけど、その気持ちはすごくわかるよ。
どこかの誰かが作った問題集を解いているだけの僕でさえこんなにハイになれるんだから、自分が作り出した微積分で、自分で問題設定して、自然現象の法則をどんどん解明していく喜びは、途方もないものだっただろう。

でも、『物理学者になりたい』なんて、親にはとても言い出せなかった。
うちは代々の医者家系なんだ。祖父も父も医者だったし、叔父やいとこにも医者が多い。『医者になって当然』という空気のなかで育ったから、医学部じゃなくて理学部を受験したいなんて、とても言えやしない。
で、当然のように医学部を受験して、当然のように受かった。自分で言うのも何やけど、優秀やから笑
親元を離れて、一人暮らしの大学生活が始まった。
勉強したり部活したり、恋愛したり、で、すごく楽しくて充実していた。物理が嫌いになったというわけではもちろんないんだけど、物理の問題を解くこともなくなって、いつのまにか物理学者になりたいなんて夢があったことも忘れていた。
やがて医師国家試験をパスし、医者になった。結婚し、子供ができた。長い月日が流れた。
高校生になった子供が、あるとき、「お父さん、昔、物理得意だって言ってたでしょ。この問題、わかる?」と参考書を示しながら、僕に聞いた。
力学のちょっとした応用問題だった。「ちょっと、紙と鉛筆貸して」
問題のポイントを図示して、少し考えると、解けた。子供に要点をかいつまんで説明した。
そのとき、僕の心のどこかに、火が付いた。「どれ、他の問題も見せてみ」
子供を尻目に、むしろ僕が夢中になって、問題を次々解き始めた。
物理少年だったときの昔の気持ちがよみがえった。
手の中に論理がある、この感じ。そう、僕は物理学者になりたかったんだ。

その日をきっかけに、子供と一緒に勉強をするようになった。
そして、自分のなかで、ある野心が芽生えたことに僕は気付いた。
今からでも遅くない。今度こそ、理学部に入ろう。もはや、親や周囲が反対することはない。
自分の生きたいように生きる、自分がやりたいことをする、最後のチャンスだ」

なんとこの先生、こういう具合に子供と一緒に受験勉強をして、有名国立大学の理学部に見事に合格してしまった。
学生と医者の二足のわらじをはくってのもすごいけど、18歳の新入生のなかに混じってまで勉強したいっていう、気持ちの若さがすごいな。

ちなみに、医学部と理学部、偏差値的には医学部のほうが高いけど、本当に才能のある人は、理学部に行くべきだと思う。
数学オリンピックとか物理オリンピックでメダルとるような天才は、行こうと思ったら医学部にも楽々行けるだろうけど、絶対理学部に行くべきだと思う。
仮に医学部に行ったとしても、研究に行くべきだ。臨床なんて行っちゃダメだよ。(臨床というのは、要するに、病院勤めの普通の医者、ということです。)
臨床なんて、ガイドラインに基づいて製薬会社の使ってほしい薬を使うだけの雑務みたいなもんだから、本当に頭がいい人がそんなところに行っては、国家的損失だと思う。
理系学問は世界を変える力があるものだけど、医学部の臨床だけは例外で、あそこは、有害無益だとすでに分かっているような治療が延々行われていたり、患者を真に救うはずの治療法が用いられてなかったり、ということがざらにある世界で、そんな世界に本当に才能のある人が行っても単に消耗するだけで、クリエイティビティの発揮のしようがない。
悲しいことだけど、医学は学問ではなく、利権なんだ。
「天才は育てるもんやなくて、育つもん」って森毅先生が言ってて、その通りだと思うけど、育つ場所は選ぶべきだよ。

CA

2018.7.17

「国内線のCAとして働いて来ました。大学を卒業してから、十年近くずっと。
CAの仕事を通じて、接客のマナーとか航空会社のシステムとか、会社で働くことの意味、お客様に喜んでもらう喜びなど、様々なことを学びました。
でも、もういいかな、と思いました。長く続ける仕事じゃないな、と。
いえ、仕事が激務だから、というわけではありません。確かに大変な仕事でしたけど、やりがいもありましたから。
私の場合は国内線だから、フライトが長時間だったり変則的だったり、っていう負担はそれほどありませんでした。多いときで、1日3フライトというときもありましたけど、国際線のCAに比べれば全然楽なほうだと思います。
それに、会社は過重労働にならないよう配慮してくれているように感じました。フライト中にもレストがあって、それは権利というか、むしろ義務でした。「何時間働いたら、何分休憩しないといけない」っていうのが、労務管理としてあるんだと思います。
そういう点は問題ありませんでした。
問題は、飛行機に日常的に乗ることから来る健康への影響で、こればかりはこの仕事を選んだからには避けられないものでした。
気圧の高い低いの繰り返しとか、機内の乾燥した空気、放射線への被爆とか、やっぱり心配だと思って。
あと、クルーミールって、お客さんにお出しするものと基本的には同じなんです。できあいの加工食品そのもので、それをアルミに包んでオーブンであたためて、食べます。
濃い味付けで、栄養のバランスなんてあったものじゃない。毎日食べ続ける食事ではありません。自分でお弁当を作って持って来ている同僚も珍しくありませんでした。
小さい頃から、車や電車、飛行機とか、乗り物が好きでした。その気持ちがあったから、CAになりました。CAをやめた今でも、車の運転とか、好きです。
でも今の車ってすごいんですよ。私のじゃなくて親のだけど、家がベンツのEクラスに乗ってて、オートパイロット機能で勝手に運転してくれるんです。飛行機の運転も離着陸を除けば、ほぼ自動化されているんだけど、まさか車で運転の自動化ができるなんて思いませんでした。先生はどんな車に乗られてるんですか」
「軽です」
「(うわ、だっさ)軽も素敵ですよね」

職業として飛行機に長く乗り続ける人の健康がどうなるのかについては、昔から研究されていることではあった。(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK219002/)
ごく最近、かなり気合の入った論文が出てきたので紹介する。(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC5865289/)
この研究によると、一般の人に比べて、CAが婦人科系の癌にかかる確率は1.66倍、部位を問わず何らかの癌にかかる確率は2.15倍であり、睡眠障害、疲労、うつ病にかかる確率は、1.98倍から5.57倍高かった。
逆に、心血管系、呼吸器系疾患にかかる確率は低くなっていた。
職歴が長いほど、睡眠障害、不安・うつ病、アルコール依存、癌、末梢動脈疾患、副鼻腔炎、下肢手術、不妊、周産期疾患にかかる確率が増加した。

上空何千メートルという空の上が職場なわけで、こういう環境はやっぱり人間が過ごすには不自然なのだということが、病気の発生率の増加に表れていると思う。
だから上記の女性が、せっかく子供の頃からの憧れのCAになったのにもかかわらず、自分の健康を気遣って職を辞める決断をしたのも、賢明な判断だというべきだろう。
今後AIが進歩すれば、CAは不要という時代は来るだろうか。
それはわからないが、こういうエビデンスが出てなお、航空会社としてはCAを廃止するわけにはいかないし、CAのほうでも健康リスクを承知の上で「働き続けたい」と希望する人も多いだろう。
そういう場合に、栄養療法的にお手伝いできることがある。
国際線のCAには、睡眠障害はほぼ必発で、狂った睡眠リズムを整えるためにベンゾジアゼピン系の睡眠薬を使っている人も多いと思われるが、そういう人には、ベンゾではなくメラトニンを勧めたい。
ベンゾの長期使用は癌の発生率を増加させるが、メラトニンには睡眠リズムの適正化に加えて、むしろ抗癌作用が期待できる。
CAをしていることでなぜ婦人科系の癌が増加するのか、詳細は不明だが、ホルモンの分泌不全が病態の根本にあるのではないか。だとすれば、婦人科疾患の女性によく用いるビタミンB6と亜鉛の服用もプラスの作用が期待できそうだ。
過酷な機内環境であるから、抗ストレス作用を期待して、アダプトゲン(特にロディオラ、睡眠障害のある人にはアシュワガンダ)を使ってもきっと効果があるだろう。

車好きの女の子というのは確かにいて、乗ってる車が軽ではそういう子にまったくアピールしない、ということを、相手の表情で如実に知りました泣

カルシウム

2018.7.16

アメリカの成人男性の3人に1人が何らかの心臓血管系の疾患を抱えている。
原因としては、食生活の偏りや、肥満による代謝障害が指摘されている。

治療としては、一般の病院では、バイパス手術をするとか投薬による症状のコントロールがメインだけど、栄養療法の立場としては、当然食生活の改善やサプリの投与が中心だ。
ただし、サプリメントによる悪影響も指摘されている。
「過度のカルシウムサプリメントの摂取は男性の心疾患リスクの増加に関連する。National Cancer Institute研究者グループが、50歳から71歳の男女38万8229人(Health-AARP Diet and Health Study)のデータを分析したところ、カルシウムサプリメントを、1日に1000mg超えて摂ると、心血管系疾患による死亡リスクが20%増加すると考えられるとしている。この関連性は男性にのみ認められ、女性には見られなかった。」

やみくもに「サプリを飲め」とすすめているのが栄養療法ではないからね。
飲むべきサプリ、飲んではいけないサプリ、というのがはっきりある。
カルシウムは飲んではいけないサプリの代表的なものだ。

たとえば象を見てごらん。
あんなにどでかい巨体で、骨格も当然大きくて、骨には大量のカルシウムが貯蔵されているわけだけど、彼ら、カルシウムのサプリを飲んでいるか?もちろん飲んでいない。
じゃ、何を食べているか。基本、草食動物だから、緑の葉っぱばっかり食べている。ただの葉っぱで、あの巨体を維持できているわけ。不思議だと思いませんか。

そもそも葉っぱはなぜ緑なのか。葉緑素が含まれているからで、葉緑素の主な構成要素はマグネシウムだ。これは、人間の血液のメインの構成要素はヘモグロビンで、その活性中心に鉄があるのとパラレルな関係だ。
つまり、植物の血液と人間の血液の違いは、構造の中心にマグネシウムがあるか、鉄があるかの違いだけだ。
生野菜を意識して毎日食べている人ならともかく、加工食品ばかり食べている現代人にはマグネシウムが不足しがちだから、マグネシウムをサプリメントとして補うのは理にかなっている。

鉄に関しては、鉄欠乏性貧血ででもない限り、あえてサプリでとる必要はない。というか、ケルブランの原子転換でいうなら、マグネシウムは結局体内で鉄に転換されるので、マグネシウムとっていれば貧血にならない。鉄鋼スラグみたいな粗悪な原料由来の鉄サプリ飲むくらいなら、ちょっとお高めのちゃんとしたマグネシウムサプリを使うか、料理ににがりをちょっと使うようにするといいよ。

あるいは、マンガンも鉄に転換されるとケルブランは言っているけど、これは、統合失調症者が抗精神病薬でなぜジスキネジアを発症するのか、その機序を整合的に説明するのに役立つと思う。
「統合失調症(および精神疾患罹患者)には鉄欠乏性貧血が有意に多い」(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3680022/)
「抗精神病薬は代謝のプロセスで血中マンガン濃度を減少させる」(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3989508/)
この二つはいろいろな研究者がすでに確認している事実だけど、ケルブランの説はこれらの事実をつなぐ橋渡しになっている。

リーマスが躁に効くメカニズムは精神医学の教科書によると「不明」とされているんだけど、これもケルブランの原子転換で話をうまく説明できる。
つまり、躁病の人も血中の鉄濃度(あるいは鉄代謝)に異常があるんだけど、リチウム(リーマス)は体内でケイ素と結合して鉄になる、とケルブランは説いている。
リーマスを飲むということは、間接的に血中鉄濃度の安定化に寄与しているわけだ。
でも、この機序を考えれば明らかなように、その過程でケイ素がどんどん消耗されているから、リーマス飲んでいる人はシリカのサプリをとるとか、スギナのお茶を飲むといいよ。

ケルブランの話をもっとしたいところだけど、きりがないから、カルシウムの話に戻る。
人間は、腸管から必要なカルシウムを吸収し、体の中で不要になったカルシウムは尿から排出してバランスをとっているわけだけど、一般的に、加齢にともなって、体内にはカルシウムがたまりがちになる。
骨粗鬆症になっている人というのは、カルシウムが不足しているのではなくて、カルシウムをきちんと骨にアンカーできていないことが根本的な病態であって、むしろこういう人の動脈内壁や関節内にはカルシウムが沈着している。
カルシウムの不足が問題なのではない。偏在が問題なのだ。
そして偏在しているところでは、まず間違いなく、炎症が起こっている。炎症のあるところ、カルシウムあり、で、カルシウムのあるところ、炎症あり、だ。
要するに、骨粗鬆症の治療とか予防のためにカルシウムをとっている人がいるけど、ああいうのはむしろ有害無益。骨の強化に役立っているどころか、炎症を助長し、活性酸素の発生を促し、動脈硬化を増悪させるだけだ。
栄養療法的な治療としては、生野菜を食べることを勧めたり、あるいはにがりとかマグネシウムのサプリを勧める。
あと、不必要に日光を避けないこと。むしろ太陽に適度に当たって肌でビタミンDを作っていれば、健全な骨を作るお助けになるよ。

治療のつもりでやっていることが、実は体に悪いことだった、って、精神的にダメージ、でかくないですか。
途中で気付いて引き返せればまだしもマシだけど、全然気付かないで、体にいいことをやっていると信じて、そのまま突っ走ってお亡くなり、という悲劇が、この世界からちょっとでも減ればいいんだけどね。
僕の母は大腸癌の診断を受けて、手術と抗癌剤こそが治療への道、と信じて突っ走り、どこか、この世ではないところに消えてしまいました。
何よりやりきれないのは、母が大腸癌の診断を受けたとき、僕はすでに医者だったということだ。
「医者でありながら、他ならぬ自分の母を説得できず、正しい治療の道へ導けなかった」
医者である限り僕は、この後悔をずっと心の隅に抱えて生きていくことになるだろう。
そして、縁あって僕のクリニックに来られた患者には、同じ不幸な目にあわせまい、と思っている。

2018.7.15

今日大阪に行ったら、駅前の広場でベンツの展示会やってた。

2000万円の車かぁ、お姉ちゃん一人2万円とすれば1000回できるんかぁ、とか下品な単位換算してしまう小市民なんだけど笑、この車が破格の200万円だったとしても、僕は買わないんじゃないかな。

車に全く興味がない、っていうわけでもないんだけどね。
子供の頃はミニカーとか好きで、集めたりしてたし。
今でもカッコいい車を見れば、カッコいいなと思う。
でもそれだけなんだな。
自分がそれを所有して、乗り回したい、とまでは思わない。

学生時代はトヨタのハリアーに乗ってた。自分で買ったわけではもちろんない。
友達が車を乗り換えるってことで、僕に譲ってくれたんだ。
「もう10万キロ以上走ってるしさ、あちこちガタが来てるんだよね。でも君がよければ、あげるよ」と。もちろん、ありがたく頂戴した。(しかし車くれるってすげぇ話だな。今考えてみても。)
ハリアーは車高が高くて、周囲の車を見下ろすような優越感があった。それに、加速がすばらしくて、運転するたびにちょっとした胸のときめきがあった。
「なるほど、いい車って、いいものだな」と、僕もこのとき初めて実感として思ったよ。

その後数年間乗って、いよいよ寿命が来て、買い替えとなった。
僕が次に買ったのは、軽自動車だった。
「医者になって車のグレードがダウンした奴って、他におらへんぞ」って同期が笑ってた。
今もその軽に乗っている。

もういいかな、と思ってさ。
ハリアーはすばらしい車で、いい車がどういうものか、教えてくれた。
でも、もう充分満喫したかな、と。
20万円、200万円、2000万円の車があったとして、車としての魅力も10倍ずつ増えているかというと、全然そんなことないと思うんだな。
時速100キロで1時間走るとか人間にはできないことだけど、車ならそういうことは可能で、それが可能な時点で、どんな車だろうが、もう充分だと思って。
それに、何か疲れちゃったんだよね。
医者仲間どうしの会話のなかで、乗ってる車で相手のステータスを推し量るような、暗黙の駆け引きとか。車のブランドとかこだわってさ、バカみたい。そういうの、俺、もう降りるわ、と。
もうね、「車は足」と割り切ってるんだ。それ以外の意味はまったくない。
軽でもう充分なんだ。

もっと自分の心理を分析すると、おそらく僕は、自分以外に大事なものを持ちたくないのだと思う。
今は自分のことで手いっぱいなんだ。
大枚はたいて車買ったとすれば、まさか野ざらしで放置しておくわけにはいかない。車内をきれいに掃除したり、ときどき洗車したり、って具合に、きちんと管理しないといけない。
車は単なるモノじゃないくて、ある意味ペットと同じだ。ちゃんと愛情かけて育てていくものだし、そうして愛情かければかけるほど、もっと大切にしよう、って思えるんだ。
僕はハマれば凝り性だから、きっと大切にするだろうと思う。
でも、今の僕にはそれだけの余裕がない。
開業して大変だし、ヒマがあれば一本でも多く論文を読みたい。自分を成長させるのに忙しいんだ。
今の僕には、自分以外の存在に愛情を注ぐことは、何だかすごく億劫だ。
結婚に踏み込めない心理も根は同じかもしれない。

「言ってることはわからないでもないが、独身貴族の発想だね。まぁ今はそれでいいだろう。
でも、君にも嫁ができて、子供ができれば、いつまでもそういう軽に乗ってるわけにはいかないよ。
20万円、200万円、2000万円の車があれば、車としての魅力も10倍増しとは言い難い、高い車はコスパが悪い、と君は言う。
しかし俺に言わせれば、とんでもない話だ。生じている価値は10倍以上だよ。
2000万円の車は俺も乗ったことがないから偉そうには言えないが、少なくとも200万円以上の車に乗ること、これは医者の君にとっては、ほぼ義務といっていい。結婚して家庭を持てば、なおさらだ。
ステータスとかそういう低レベルな話じゃない。君の命、そして君の家族の命を守るためだよ。
天候や路面状況に左右されない、ベンツの走行時の安定感。ハリアーに乗っていたことがあるのなら、高級車の運転のしやすさは体感として知っているだろう。ベンツに乗っている時点で、事故を起こす確率が減っているんだ。
それに、万一事故を起こしたときの、車体の装甲性。高速で事故を起こしても、軽ならばペシャンコに潰れてしまうところ、ベンツなら見事に君の命を、家族の命を守ってくれるだろう。命が金で買えるとしたら、これほど安い買い物はないと思わないか。ヤクザが乗ってる車というイメージもあるかもしれないが、彼らとてステータスだからという理由だけでベンツに乗ってるわけじゃない。命への投資なんだよ」

先輩医師が言ってくれた、親身な意見。
これは胸に来たな。自分の意見を幼く感じたよ。
俺もいつかはいい車に乗らんとあかんなって思った。自分以外に守るべき大切なものができたらね。

体験乗車までさせてくれた。
45度の傾斜って、すごいよ。運転席から見れば、体感としては、ほとんど壁に突進しているような錯覚を感じるほどだし、降りるときには、崖にダイブするように感じる。
前後の傾斜だけではなく、左右の傾きにも強い。
タイヤが地面を噛む力というのか、こんなに安定感のある車もなかなかないだろう。
しかし2000万かぁ。
「メルセデス・マイバッハは8800万円からお買い求めいただけますが、それに比べればリーズナブルかと思います」
って、売り子さん、言うてはったけど、いやいや、ビルゲイツにでも営業しておいで笑。
俺にはやっぱ無理。5、600万円くらいのランクルとかならまだしも現実的かなって思う。

水虫

2018.7.14

ごうちゃんは僕のビジネスパートナーで、なおかつ、患者でもあり、僕の友人でもあるんだけど、そのごうちゃん、最近、水虫を発症した。
「ほら、これ、見て。ここの部分、痛いようなかゆいような感じやねん」
なるほど、皮膚科の診察を待つまでもなく、誰の目から見ても文句なしに、水虫だ。
「どっち路線で治したい?」と一応聞いてみた。
抗真菌薬を使う一般的な治療でいきたいか、それとも、そうじゃない方針をご希望か、という言外の意味は当然ごうちゃんにも伝わって、
「うーん、治るならどっちでもいいけど、抗生剤使いたいって言ったら、また副作用がどうのこうのとか言うんでしょ」
「まあね、確かに笑。でもあり得る副作用の説明は、医者の義務やからね」

水虫に対しては、ニンニクが著効する。もう、抗生剤の存在意義が大気圏外に吹き飛んでしまうぐらい、明らかに効く。
何年間も皮膚科に通い続け、処方される抗真菌薬を律義に塗り続け、それでも全く治らなかった人が、ニンニクのすりおろしを患部に当てたら一発で治ってしまった、という話がある。
ニンニクを使う、などというと、民間療法丸出しやな、と妙に小ばかにしたような反応が返ってくることがあるけど、こればっかりは効くんだから仕方ない。
というか、ニンニクの抗菌作用については、もはや民間療法というレベルではなくて、科学エビデンスとしては5000以上の文献がある。(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/?term=garlic)

ニンニクは何も水虫だけに効くわけじゃない。細菌、真菌どちらの感染症にも効く。驚くべきことに、薬剤耐性菌にも効く。
ペニシリンをはじめとした抗生剤の開発の歴史は、薬剤耐性菌の出現の歴史でもあって、両者の関係はいたちごっこそのもので、泥沼の様相を呈した戦争のようだ。
人間がその叡智でどんなに優れた抗菌薬を開発しようとも、細菌のほうではその盲点をついて見事に適応を成し遂げる。
製薬会社のほうでもこの戦争にうんざりしていて、新たな抗生剤の開発にはもはや消極的だ。
巨額の開発費をつぎ込んで新薬を開発したところで、結局薬剤耐性を備えた菌が出現することは見え透いている。
同じ巨費を投じて新薬を作るのなら、高血圧や糖尿病の開発費に回したほうがまだしもリターンが見込める、と彼らは考えているわけだ。
彼ら、ボランティア団体じゃなくて営利企業なんだから、当然の発想だよね。

というか、もっと本当のことを言うと、この抗生剤VS耐性菌の戦争って、実は終わらせようと思えば、すぐにでも終わる戦争なんだ。
ニンニク。この一撃で、メチシリン耐性ブドウ球菌もバンコマイシン耐性腸球菌も、みんな死滅する。
人間は何千年も前からこのニンニクの抗菌作用を知っていて、生活の中で利用してきた。そして何千年も利用してきたにもかかわらず、細菌のほうではニンニクの抗菌作用に対する耐性など、生じることがなかった。
だから、今、病院現場で薬剤耐性菌の出現が問題になっているのなら、解決策は簡単。
ニンニクから抽出したエキスを抗菌薬として大量生産し、臨床で使えばいい。解決策は未知なる化学式のなかにあるんじゃない。スーパーの野菜コーナーに並んでいるニンニクの中にあるんだ。

でも、ひとつ大きな問題がある。
天然の生薬由来の成分では、製薬会社は特許をとることができないんだな。
やはり、彼らは営利企業であって、目的は人命救助ではなくてお金儲けなわけだから、ニンニクで戦争が終わってしまうとなっては、抗菌薬が売れなくなって、おまんまの食い扶持がひとつ減ってしまう。
サラリーマン経験のある人なら、企業のこういう隠蔽体質はよくわかると思う。
製薬会社だけじゃない。どこの会社だって、自分の首を絞めるようなことはしないよね。

ニンニクを使ったら、ごうちゃんの水虫はすぐに治った。
治ったんだから、もう万々歳、これにて一件落着、でいいんだけど、僕はおせっかいだから、ついでにひとこと言ってしまう。
「ごうちゃん、最近太りすぎやで。暴飲暴食しまくってるでしょ。
過食すると、血中の栄養分も過剰になって、白血球がその処理に追われて、ばくばく貪食する。で、肝心の細菌感染症に対しては、白血球、腹いっぱいなもんやから、ちゃんと免疫機能が発揮できない。
だからね、水虫が治ったのはいいことやけど、もっと本質は、食生活の改善やで。免疫機能がちゃんとしてる人は、そもそも水虫にかからへんよ」
「うん、わかったわかった。じゃ、あつし、これからラーメンでも一緒にいこか。水虫治してくれたし、大盛、おごるで」
「お前絶対わかってへんやろ笑」

入れ歯

2018.7.13

「医学部に入学したって、一年生のうちは一般教養の授業ばかりでしょ。
2年生、3年生と上の学年に進むにつれ、専門性の高い授業が始まって、ようやく「自分は医者になるんだな」という意識も高まっていくものだが、何と言っても一番大きな通過儀礼は、解剖実習だろう。
本から学ぶ机上の知識だけではなくて、実際のご献体から、解剖的知識を実地に学ばせてもらうわけだ。
実習初日の風景はかなりショッキングだ。
学生は5人とか6人で一組の班に分けられるんだけど、各班それぞれのテーブルに、カバーをかけられたご遺体がズラリと並んでいる。あんなシュールな光景は、解剖学教室以外には、現実世界になかなかないだろう。
嗅ぎ慣れないホルマリンの臭気もあいまって、初日には気分が悪くなって実習を途中退室してしまう学生が一人二人出るものだが、人間たくましいもので、そういう彼らもやがて慣れて、率先してご遺体にメスを入れるようになる。

全裸のご遺体は、個人情報の剥ぎ取られた、完全に匿名的な存在だ。
名前はもちろん、生前どこで暮らすどんな人だったか、一切明かされない。
ただ唯一、死因と死亡年齢だけは分かる。これは個人情報というより、医学的情報だからね。学生への教育的目的もあって、そこだけは教えられることになっている。

ところが、僕の班に割り当てられたご遺体には、重大な手違いがあった。
七十代で亡くなった女性のご遺体だったのだが、口腔内の解剖のときに、その女性が入れ歯をしていることが分かった。
で、なんと、その入れ歯に名前が書いてあったんだ。
入れ歯に名前を刻印するということは、それほど珍しいことでもないらしい。ほら、老人会で一泊旅行とか行ったときに、洗面所で入れ歯の取り違えがけっこう起こるんだよ。そういうトラブル回避のために、入れ歯に名前が入れてあるわけだ。

一切の個人情報を取り除くべき大学当局にとっても、入れ歯は盲点だったんだな。
思いもかけず、僕ら班員はそのご遺体の名前を知ることになってしまった。
しかもね、その名前、佐藤とか鈴木みたいなよくある名前なら、特に印象に残ることもなく記憶を素通りしたと思うんだけど、なんていうのかな、すごく珍しい名字だった。たとえば、そうだな、仮名だけど、東雲(しののめ)さん、みたいなね。

で、僕らも解剖実習やりながら、「しののめさん、胸鎖乳突筋、メス入れさせてもらいますね」とか「しののめさんの反回神経って、バリエーションですね」とか、冗談交じりというわけでもないんだけど、そんなふうに、匿名のご遺体じゃなくて、名前を持った個人として接している節があった。
そのせいでね、テスト対策のために無理やり頭に叩き込んだような解剖学用語は全部忘れちゃったけど、しののめさんっていう名前だけは、僕の記憶の中にしっかりと残ることになった。

やがて時が流れた。
ポリクリを終え、卒業試験をクリアし、国家試験も合格し、僕もようやく医者になった。
医者になってから、さらに数年の時が流れた、ある四月のこと。
僕は大学の頃からずっとテニスをしていてね、当時もあるテニスサークルに所属していたんだけど、そこに入会したいという人が何人か来た。
で、彼ら、一人一人自己紹介していくんだけど、そのなかの一人の女性が自分の名前を「しののめゆうこです」と名乗ったとき、僕の心は急に、学生時代の解剖実習に引き戻されたようだった。
どうしてもその人と話したいと思って、後で話しかけるきっかけ作って、言った。
「僕が学生時代に解剖させて頂いたご遺体もしののめさんでしたよ」
「え!」と彼女、驚いてから、「それはきっと私の祖母だと思います。祖母は医学のためになるのなら、と自ら献体になることを希望していましたから」
「不思議ですね。こんな偶然があるんですね」
それがきっかけで、僕ら、いろいろ話をした。
出会った最初の日からお互い他人のような気がしなくて、親しく話すようになって、やがて交際し始めた。
そして彼女は、今の僕の妻でもある。

名前入りの入れ歯がつないでくれた不思議な縁を思うたびに、僕はある種の感慨に打たれる。
人間は死んだら終わり、じゃない。
死んでなお、孫娘の恋愛を成就させるキューピッド役になることもあるんだ。」