院長ブログ

見えないもの4

2020.2.26

昨夜、大学時代の同級生から急にラインがあった。
「今実家に戻ってるねんけど、飲まへん?」
普段は東京で医者をしているが、先週末の連休から実家の京都に帰っているという。
ブログを書きたいと思っていたが、友人付き合い優先である。二つ返事でOKした。

「最近は、仕事以外はポーカー三昧の日々。新宿、渋谷、池袋、あちこちのポーカーバーに道場破りみたいな感じで遊びに行っている。
勝ったり負けたり。強い人がいると勝てないな。カードが弱いときは基本的には降りるよ。手札にエースがあっても、もう一枚が5とかだと、たいてい降りる。5くらいだとキッカーで負けるし。
勝負に行くときは自信のあるときが8割。残り2割がブラフかな。
あつし、最近ポーカーどうなの?え!やめたん!?なんで?

ああ、ブログに書いてたね。ああいうところで運を使いたくない、みたいなこと。
あれはね、違うと思うよ。バックギャモンはともかく、ポーカーは完全に心理戦だよ。運を消耗する、とかじゃない。
いや、もちろん運は必要だよ。でも確率的に、悪い手札が続くわけがない。強い手札が来ることが確実にある。それは”祈り”とか”願い”とかじゃない。単純に、確率の話だよ。
カードが弱いときは、降りればいい。弱いカードで変に突っ張ろうとするから、頭が熱くなって、願ったり祈ったり、ということをやりだす。
ポーカーに強い人は、必ず冷静だ。考えているのは、期待値のことだけ。あんまり祈ったり願ったり、ってしてないよ。
あとは、ポーカーフェイス。プレースタイルを読まれちゃいけない。ときにはブラフも必要。
なんていうか、ポーカーバーに「神様」はいないよ。ディーラーがいて、プレイヤーがいる。ただそれだけの話。
読み合いや駆け引きがあって、ものすごく人間臭い世界だよ。またポーカー、やりに行こうよ。

あと、そうそう。神様とか霊能力的なことについても書いてたね。
そういうのでいうとね、俺にもひとつ、話がある。
俺、甥っ子がおるんよ。ほら、妹の陽子の子供。その甥っ子がね、5歳なんだけど、もう、明らかに「見える子」なんだよ。
たとえば、実家では親父とかがお札を張ったり神棚を置いてたりするんだけど、それを見て甥っ子が「そこに火の神様のためにお供えしても意味ないよ」とか「神棚のまつり方が違う」とかいう。
じゃあどうすればいいんだと親父が聞くと、「そこにしめ縄をかけて、そこに鏡を置いて」みたいに具体的にアドバイスする。
陽子が甥っ子の手を引いて散歩していて、たまたま稲荷神社の前を通り過ぎた。すると、甥っ子が「ここのおいなりさん、全然ダメ。ちゃんとまつれてない」と怒り出した。
陽子が驚いて、その理由を尋ねると「きつねと神様は違うのに、お供えとかのやり方が混じってる」と。
その稲荷神社の神主は全然そういうのが見えない、かなりテキトーな人みたいで、甥っ子はそのことにも腹を立てていた。
霊感とかそういう能力でいうと甥っ子はそこらへんの神主よりすごいんだけど、いうてもまだ5歳の子供だから、自分の見えているものとか考えをどうやって伝えたらいいのか、まだボキャブラリーが少ないんだな。
陽子がよくよく甥っ子の話を聞いてみると、こういうことらしい。
一般の神社は人間の神様で、稲荷は動物神で、両者は異質なもの。お供えの仕方とかまつり方も当然違ってくるし、何か願掛けをするにしても、聞き入れてくれる心願の種類も違う。たとえば、動物神は呪いも引き受ける、とかね。それを一緒くたにしてまつってるものだから、おいなりの動物神が甥っ子に「これ、何とかしてくれ。きちんと分けてくれ」って言ってくるらしい。
コックリさんとか、小学校のときにやったでしょ。俺もやったことがあるけど、ああいうのは危険な火遊びで、本当にやばいことも起こり得る。
コックリさんで降りるのは動物神で、いたずらで呼び出して、ちゃんと帰ってくれればいいけど、帰ってくれなければマジで人に憑く。狐憑き、という現象があるだろ。あれは本当だよ。
こういうことは、人間の神ではあり得ない。天照大神(あまてらすおおみかみ)がコックリさんで呼び出されて人に取り憑いた、なんて話は聞いたことがないでしょ」

当然、真偽不明の話である(彼が僕に嘘をつく理由はないけどね)。
ただ、キツネ憑きの話は興味がある。
仮にこの現象が実在するとすれば、どうなるか?
キツネに憑かれた人は精神状態に異常をきたす。周囲の人がこの人を心配して、医療機関に連れて行く。すると、統合失調症の診断が下される可能性が高い。
逆に、統合失調症の診断を下された患者のなかには、一定数、霊障による精神症状(かつて”狐憑き精神病”と言われた)があるのでは?
このあたりの疑問を追求した良書がある。『医師が語る霊障 現役医師が医療現場で見た霊障トラブルとセラピー』(橋本和哉 著)である。
患者からこの本を勧められ購入したが、おもしろかった。どの病院に行っても原因不明と言われ、途方に暮れている患者のなかには、霊障による症状である可能性が、本当にあるのだなと思った。
しかし考えてみれば、これは当然の話である。
医術は、かつてシャーマンが行っていた。「病気が霊によって起こる」ことは、むしろ当然のことだった。
西洋医学の隆興は、そういったスピリチュアルな原因による病気の可能性を一掃したかに見えるが、医者の考え方が変わったところで、どっこい、霊のほうが出て行ってくれない。
「非科学的現象は一切認めない」と、まるで科学に対して宗教のような情熱でしがみつくよりも、いっそ「本当に、そういう霊的な現象が実在するのだな」と認めてしまったほうが、話がクリアになると思う。
どの医者も異存はないと思うけど、医者にとってのプライオリティは、患者の治癒である。
霊障という現象が実在すると仮定して、その仮定によって治癒がうまくいくのなら、一概に否定すべきものでもないと思いませんか?