院長ブログ

嫉妬

2020.1.31

マスコミが俳優の不倫で騒いでいるけど、まぁ、すごくどうでもいいニュースだね^^;
どのコメンテーターだったか、「東出昌大や唐田えりかを批判できるのは、妻の杏さんだけ」と言ってたけど、その通りだと思う。家族内のもめごとであって、世間が騒ぐことじゃない。
マスコミ(および世間)が東出氏を批判しまくった結果、東出氏はドラマやCMの仕事から完全に干されてしまった。今後の俳優人生がどうなるかさえ、危ぶまれている。
もし離婚するとなった場合、どうなるか?
不倫による離婚だから東出氏は多額の慰謝料を払うことになるだろうし、さらに、幼い子供が三人もいるということだから、養育費も相当な額になるだろう。そういう状態で、仕事が空っぽならどうなるか。慰謝料も養育費も払えない。そうなったら、困るのはむしろ杏さんだ。
マスコミが妙な正義感を振り回して、内輪のもめごとを好き放題にかき乱し、結果、誰も得していない。有名人って本当に気の毒だ’Д’
しかし、マスコミがこういう不倫騒動を大きく報道するのも、数字がとれるからなんだよね。誰も関心を示さないなら、さすがのマスコミも報じない。つまり、下劣なニュースの繁栄は、僕らの下劣な心の反映、ということかもしれない^^;

『”不倫罪”の女性を石打ちで殺害 アフガニスタン』
https://www.bbc.com/japanese/34718223
信じられない話だけど、女性の社会的地位がずいぶん向上したこの21世紀にも、不倫が文字通り、”命がけ”の国もある。つまり文化圏によっては、今回の一件で唐田さんは命を落としていた可能性さえある。恐ろしい話だね ゚Д゚
しかし、女性には理不尽に聞こえるかもしれないけど、不倫した男性側(東出氏)が殺されることは、どの文化圏においても、まずあり得ない(ただ、現在の東出氏を見ればわかるように、マスコミの力が荒れ狂って、社会的に”死に体”にまで追い込まれることはあり得る)。

一体、この男女差は何なのか?こういう論文がある。
『男性の性的嫉妬』
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/0162309582900279
Male sexual jealousy
「性的な嫉妬は、父性としての自信を守ろうとする機能であり、従って、男性心理の普遍的に見られる側面であると思われる。これには複数のエビデンスによる裏付けがある。
不倫に関する法律の各文化間の比較研究(および時代ごとの比較研究)のレビューによると、不倫に関する考え方が驚くほど共通している。つまり、それは「既婚女性が他の男と性的接触を持つことは罪であり、被害者はその夫である」という考えである。
デトロイトで起こった不倫が原因の殺人事件(1982年)のように、男性の性的な嫉妬こそが根本にあると我々は考えている。殺人事件の発生原因を各文化間で比較したレビューによると、男性の性的嫉妬を動機とする犯行はどこの文化にも普遍的に見出されるものである。”普通”の嫉妬を対象にした社会心理学的研究、”病的”な嫉妬を対象にした精神医学的研究、いずれの研究も、男性が抱く嫉妬と女性が抱く嫉妬は質的にまったく異なるものであり、研究者らの理論的予測と一致しなかったことを報告している。
男性が暴力を行使したり、あるいは暴力で威嚇したりして、女性の性的行動を強制的に拘束していることは、どの文化圏にも普遍的に見られる現象のようである。女性の性的自由が近親相姦の禁止則によってのみ制限されている社会もある、と唱える研究者もいるが、この主張は記述人種学(ethnography)と明らかに食い違っている」

なんだかんだで、男が文化(社会、法律、学問、芸術など)を作っているから、その産物であるたとえば法律には、男の欲望が反映されている。
それは、根本的には体の解剖学的違い(男性が産ませる性であり、女性が産む性である)に起因するものだから、仕方がないのかもしれないし、是正のために何らかのアファーマティブアクションが必要な場合もあるかもしれない。
しかし、嫉妬という人間に普遍的に見られる感情が、男女で全然質的に違うという指摘はおもしろい。

男の嫉妬、と聞けば、映画『アマデウス』が思い浮かぶ。
モーツァルト(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト)の映画ということになっているけど、完全にサリエリ(モーツァルトと同時代に活躍した宮廷音楽家)の映画だと思った。
精神病院で晩年を過ごすサリエリのもとを、神父が訪れる。物語はサリエリの回顧を中心に展開する。
このサリエリ役の俳優(マーリー・エイブラハム)の演技がすごかった。サリエリのモーツァルトに対する”複雑な思い”が見事に表現されていたと思う。
女の尻を始終追いかけまわし、大便がどうのこうのと下品な言葉で大笑いし、賭けビリヤードに狂う遊び人。
しかしひとたびペンを持って五線譜に音符を書きつければ(それはものの5分とかからない)、譜面にあるのは途方もない美をたたえた天上の旋律で、そのことごとくが音楽史に残る傑作なのだった。
サリエリが数年の歳月、身悶えしながら書いた音楽よりも、モーツァルトがビリヤードのキューを持ちながら鼻歌交じりに書いた音楽のほうがはるかに美しいのだった。
天賦の才というものが歴然と存在するという、この残酷さ!
サリエリに与えられた才能は、ただ、モーツアルトのすごさがわかるという、その才能だけだった。

「グラッチ」と神に祈りと感謝を捧げつつ、苦心して作った曲を、サリエリが皇帝に献上した。彼にとって、最も誇らしい瞬間である。
その曲を、モーツァルトが皇帝の面前で遠慮なくけなす。「単調だな。こうしたらもっとよくなるんじゃない?」とモーツァルトがアレンジすると、たちまち華やかな曲に生まれ変わる。
サリエリの当惑と屈辱が伝わってくるようだ。次にサリエリがつぶやく「グラッチェ」には、神への怒りがこもっているようだ。「なぜ私ではないのだ!なぜ、あんな下品な男に才能を分け与えたのか!」
しかしモーツァルトへの感情は、憎悪だけではない。
モーツァルトの曲の魅力を語るサリエリの様子は、彼の才能に対する賞賛と憧れを隠そうともしない。そういうときの彼は、「モーツァルトの偉大さを一番理解しているのは、この自分なのだ」と、誇りに思っているふしさえある。「私はね、彼を知らなかったことがない。私が育ったイタリアの片田舎にさえ、彼の名声は聞こえていた。14歳の私は、8歳にしてすでに皇帝や教皇の前で演奏を披露し11歳で交響曲を書き上げる神童がいることを知った。彼こそがまさしくアマデウス(”神に愛された子”)であり、私の崇拝する偶像だった」

しかしそういう具合に、モーツァルトの才能がわかるというそのこと自体が、彼への嫉妬をも掻き立て、ついにはモーツァルトを殺害するに至った。
そう、嫉妬は、人を殺す。
嫉妬は莫大なエネルギーを持つ感情だから、うまく使えば大きなパワーを与えてくれるに違いないんだけど、これを上手に使いこなすのは相当難しいようだね。

ところでこの映画でモーツァルト役を務めたトム・ハルスは、他にこれといったヒット作のない俳優なんだけど、同性愛者であることをカミングアウトしている。
男女のしがらみに関する嫉妬と完全に無縁な彼にとって、嫉妬という感情と無縁なモーツァルト役は、この上ないハマリ役だったんじゃないかな。