院長ブログ

テセウスの船

2019.8.31

古代ギリシアに、「テセウスの船」という話がある。
船に乗ったテセウスが、アテネの若者とともにクレタ島から帰還した。「すばらしい航海であった。無事帰還できたことを祝し、この船を後の時代までも保存しよう」ということになった。
しかし、木造船である。木材が朽ちていく自然の経過にはあらがえない。パーツがダメになっていくたびに、その箇所を新たな木材で置き換える。
やがて、その船のオリジナルのパーツはすっかりなくなってしまった。
さて、すべてのパーツが取り替えられたこの船は、テセウスが後代まで保存したいと願った船だと言えるだろうか。

これは古代ギリシアで議論されていた有名なパラドックスのひとつだ。
要するに、問題は、次のように一般化される。
「ある物事の構成要素がすべて置き換えられたとき、それはもともとあったものと同じものと言えるだろうか」

子供の頃、巨人ファンだった。
藤田監督のもと、桑田や斎藤が投げて試合を作り、バットでは川相や篠塚の職人芸、勝負強いクロマティが見ものだった。
それが「僕の好きな巨人」だとすると、それは永遠ではない。
次第に若手が出てきて、ベテランは去って行く。数年もすればメンバーは大幅に入れ替わっている。
「僕の好きな巨人」はどこへ?というかそもそも、巨人を巨人たらしめている核は、一体何なのか?
黒とオレンジを基調としたユニホーム?読売新聞がバックにいること?あるいは、ナベツネ?笑

車を買った。しかし、買っておきながらこんなことを言うのもあれだけど、気に入らない。
車体、エンジン、タイヤ、内装、もう、この車のすべてが、気に入らない(←そんな車、なんで買うねん笑)。
よし、総とっかえだ!パーツを全部、グレードアップしてやろう。
あくまで思考実験だけど、車をそういうふうに改造したとする。オリジナルの車からパーツをすっかり入れ替えた車は、もともとの車と同じ、と言えるだろうか。
この例には一応の「答え」がある。
日本で販売される車は、フレームに車台番号が打刻されている。つまり、何を取り替えたとしても、フレームだけは取り替えることができない。
それをすれば、もはやグレードアップではなくて、法律上、別の車、ということになる。
車に関しては、そのあたりがアイデンティティの核心ということだな。

僕らの体は、日々変わっている。古い細胞が、新しい細胞に取って代わられていく。
消化管粘膜は数日で、赤血球は数ヶ月で、骨は数年ですっかり入れ替わる。
そう、僕らの体は、「テセウスの船」そのものなんだ。
10年も経てば、細胞的な意味では、僕らはまったくの別人になっている。
でも、「10年前に契約した俺と今の俺は、まったくの別人だから」と家のローンを踏み倒すことはできない^^;
個人のアイデンティティを保証するものは、一体何なのか?
僕が僕であることの核心は?

記憶、というのは大きなファクターだと思う。
幼い頃に母に抱っこされた記憶。小学校の入学式の記憶。学校の友人の記憶。
記憶が過去を支えていて、今のアイデンティティを保つ助けになっている。
記憶はどこにあるのか?
脳にある、というのが現代医学の教えるところである。

「脳こそが自我の核心」とする現代医学と対照的に、古代ギリシアでは、プラトンやアリストテレスをはじめとして「精神の座は心臓にある」と考える哲学者がいた。
心が、心臓にある?
現代の考えになじんでいる僕らには、的外れな仮説に思えるが、どうもあながち間違いとは言えないようだ。
近年医療技術が進み、心臓移植が行われるようになった。心臓移植を受けた患者のなかに、ときどき奇妙な現象が見られる。
クレア・シルビアさんは、バイク事故で死亡した18歳の男性から心臓移植を受けた。手術以後、彼女は無性にビールとチキンナゲットを欲するようになった。
さらに彼女は、「ティム.L」という名前の男についての夢をしょっちゅう見るようになった。
彼女は自分の異変を自覚した。明らかにおかしい。心臓をくれた男性の記憶が、自分のなかに入り込んだのではないか。彼女は思い立って、死亡記事を検索した。
そしてついに、バイク事故で死亡したティムの記事を見つけた。ビールもチキンナゲットも、ティムの大好物だったとわかった。
シルビアさん、自身の体験は世に知らしめる価値があると考え、一冊の本にまとめた。”A Change of Heart: A Memoir”(Claire Sylvia著)
https://www.medicaldaily.com/can-organ-transplant-change-recipients-personality-cell-memory-theory-affirms-yes-247498

脳に記憶の貯蔵庫がある、というのはあくまで仮説である。
それ以外の考え方、たとえば「何らかの形で心臓とか他の臓器に記憶が保持される可能性」が、除外されているわけではない。
心臓移植を受けた患者を対象にした研究がある。
『心臓を取り替えると性格が変わるのか?47人の心臓移植患者に対する後ろ向き研究』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/1299456
要約
心臓移植というのは、機能しなくなった心臓を単に置き換えるだけの話ではない。心臓は、愛、感情、そして個性の象徴と目されることがしばしばある。
心臓移植を受けた患者が術後に性格の変化を感じているかどうかについて考察するため、2年間にウィーンで移植を受けた患者47人に聞き取り調査を行なった。
結果、15%が性格が大幅に変わったと述べた。しかしそれは「移植した心臓の影響ではなく、心臓移植を受けるという、生死に関わるオペを受けたことによるものだ」と彼らはいう。
6%は、心臓移植の影響ではっきり性格が変わったと語った。「心臓移植を受けたことで、ドナーの感覚や感情になっている」と彼らは感じていた。
これらの心臓移植患者には、「心臓は感情の座であり、個性を形作る」とする心臓についての思い込みが影響したものと思われる。

「記憶は脳に貯蔵されるのだ」という、ただそれだけでは、説明のつかない報告が確かにある。
こういうときこそ、科学が進歩するチャンスだ。
心臓にも記憶を保持する何らかのメカニズムがあるのかもしれないし、細胞自体に物事を記憶する性質があるのかもしれない。
こういう仮説を立て、真偽を検証する、というのが科学的な態度であって、説明のつかない事象を「定説とはずれた単なるオカルト」と一蹴してしまっては、科学の進歩はないだろう。
しかし心臓移植のレシピエントが、ドナーの記憶や感情まで受け取ることになる、というのはおもしろいな。
いかにも少女マンガにありそうな設定で、すでにそういうマンガとかありそうだな^^;