院長ブログ

公立高校

2019.8.29

僕は兵庫県の明石市で育って、長野県の信州大学を卒業して医師免許を取得し、鳥取県の市中病院で研鑽を積み、再び兵庫県に戻ってクリニックを開業した。
人生の一時期を長野県や鳥取県で過ごしたことは僕の中で大きな財産になっている。
県外で過ごすことの何がいいと言って、地元を離れることで自分のことを相対化して見れるようになることだ。
同じ日本だとはいえ、言葉も違えば気候も違うし、ダシの味をはじめ食習慣も違う。
違いが大きいほど、自分のなかの「当たり前」が揺さぶられて、成長にはきっとプラスだと思う。そういう意味では、どこか海外に留学する機会があればもっとよかったんだけどな。

近所の塾で講演会をするようになった縁で、兵庫県の教育事情について見聞きする機会が増えた。塾関係者から聞く話や、長野や鳥取での経験を踏まえて気づいたのは、兵庫県の特殊性だ。
地元にいたままでは、「優秀な子が公立高校に行く」という言葉の意味が、僕にはわからないままだっただろう。

長野県に住んでいる頃、松本市出身のクラスメートが教えてくれた。
「松本ではね、まず何よりも、深志なんだ。
深志高校出身であること。これが絶対的な印籠になる。他の公立の美須々(みすず)や県(あがた)ではダメで、私立ではまったく話にならない。
地元の名士、官公庁や企業の偉いさんは、ほぼ例外なく深志の卒業生だ。新参者でも深志出身なら、「君、深志の何期生?」と目をかけてもらえる。深志コネクションってすごいんだ。
たとえば選挙なんかで、すごく優秀な学歴の立候補者がいるとする。東大卒とかハーバード大卒とか。一方に深志高校出身、信州大学卒の立候補者がいるとする。他の条件が同じなら、どちらの候補が当選するかは選挙前から見えている。
松本で何かしようとなれば、深志の団結力、深志の絆はものすごい力になってくれるよ。でも逆にいうと、その集団から外れてしまう人はちょっと生きにくいかもね。
親は子供に「頑張って深志に行けよ」ってハッパをかけるし、子供たちは深志合格を目指して勉強する。
よくも悪くもさ、松本はそういう土地柄なんだよ」

鳥取も同じような雰囲気だった。地元の優秀な子弟は皆、公立の鳥取西高校に進学した。
兵庫県の近県を見ても、事情は似通っている。大阪府では北野高校が、岡山県では朝日高校が、滋賀県では膳所高校が、公立の雄として有名だ。
これは日本全国で言えることだろう。
そう、僕はようやく理解した。
「優秀な子は、公立に行く」それが日本全国の標準的なスタイルなのだ、と。

しかし、なぜ僕は誤解していたのだろう。これには理由がある。
兵庫県は私立の進学校が多いのだ。
灘は別格の絶対王者だとしても、甲陽、白陵、六甲、淳心など、層が厚い。
灘の存在感に霞んで全国的な知名度はないけど、甲陽なんてすごく優秀な学校だよ。

さらにいうと、兵庫県の公立高校のレベルが低い、という面も確かにある。
兵庫県は最近まで16の学区に分かれていて、公立に進学する生徒はその学区内の高校から志望校を選ぶことになっていた。つまり、学区の制限のせいで、学校選択の幅が狭かった。
優秀な生徒が、教育レベルの低い学区に住んでいればどうなるか?
公立に行こうなんて思わない。進学実績の確かな学校に行こうとして、私立に優秀な生徒が流れる。
さらにいうと、教師の引き抜きもある。公立高校で教え方がうまいと評判になるような先生は、私立に高給で引き抜かれる。こうして、ますます公立がさびれていくわけだ。
こうした状況に危機感を持った人たちが、2015年に学区を新たに再編した。学区が広くなって、学校選択の幅が広くなった。
質の高い生徒を獲得するために、学校間での競争が促されて、教育レベルが上がることが期待されてるんだけど、どうなることやら。
長田高校や加古川東高校が全国的に有名な進学校になる日が来るかもしれないね。

優秀な生徒が私立に集まる、という現象は、兵庫県だけでなく、東京都にも見られる。
西の横綱が灘だとすれば、東の横綱は開成だろう。その他、麻布、駒東など、やはり東京も私立の層が厚い。
公立が苦戦している点も兵庫県と似ている。公立高校の教育改革に取り組んでいるが、かつての日比谷高校のような実績はまだあげられていないようだ。

仕事柄、受験勉強で疲れた生徒を診察することも多い。
小学生、中学生、高校生、みんな、勉強のストレスで疲れている。
勉強のストレス?
こんな言葉は、本来形容矛盾なんだ。
勉強は、自分の知らないこと(未知)が知っていること(既知)に変わっていく、最高に楽しい遊びのはずで、ストレスであろうはずがない。
それなのにいつのまにか、勉強が「耐えるべき苦行」になっている。こんなにもったいない話ってない。
林修先生が言ってた。「勉強が嫌なら、やめなさい。勉強というのは、ぜいたくなんだから」と。これには痺れたなぁ。
「世界には勉強したくても、経済的な事情で勉強できない人が無数にいる。そんななか、せっかく存分に学ぶ機会を与えられながら、親から仕送りなんて受けながら、『勉強が苦痛でしかたない』なんて言う。
もういい。誰もお前に『勉強してくれ』なんて頼んでない。嫌なら、やめとけ」
本当にその通りだと思う。
でもこういう「本当の話」は、塾の講演会では、立場上、なかなか言えないんだな。