院長ブログ

勉強

2019.6.20

縁あって、小学生向けの進学塾にときどき出向く。
本棚に備え付けの算数の参考書があるから、手にとってぱらぱらとめくってみる。
難関中学の入試問題が並んでいる。
おもしろそうだ。ひとつ、時間潰しに解いてみるか。

下の問題、簡単そうでしょう?
皆さんもいったんスマホをわきに置いて、紙とペンを用意して、ちょっと考えてみてください。

こんなの楽勝だろ、と思いながら解き始めて、途中で、あれ、おかしいな、と行き詰まる。
だんだんこの問題の恐ろしさに気付き始める。
「子供のケンカに大人が出ていくようだが」と思いながらも、三角関数やらベクトルやらを持ち出す。それでも、うまくいかない。
なぜだ?頭を抱えつつ、延々考える。
長々考えて結局答えが出ず、あきらめた。

解答をみる。
補助線一閃。
なるほど、確かに小学生の知識でも十分に解ける問題だ。
しかこんな補助線、思い浮かばないな。

かつて灘中学の入試で同様の問題が出題されたことがある。
もともとの出典をさかのぼれば、1922年に発表された「ラングレーの問題」という有名問題だ。検索すれば、解法を載せたサイトがたくさんヒットする。この問題は具体的な角度だけど、一般化されて十分に研究されている。

この問題を初見で解ける小学生は、間違いなく才能があるから、数学者を目指すといい。
間違っても医者になんてなっちゃダメだよ^^;
本当に理系的才能のある人は、理学部か工学部に行って研究者になるべきで、医学部になんて行っちゃいけない。
医者って給料はそれなりにいいかもしれないけど、仕事の内容は創造性もへったくれもない製薬会社の手先みたいな雑務だから、才能のある人がこんな仕事に埋もれてはもったいない。

親御さんから僕に寄せられる相談は、「子供にどんなものを食べさせるといいですか」「知能の発達に役立つ栄養素は何ですか」など、栄養のことがほとんどだけど、子供の将来の進路についての相談を受けたことがある。

なりたい仕事があるのなら、それに向かって進めばいい。夢があるのは幸せなことだ。
ほとんどの子供はそうではなくて、将来なりたい職業なんて、ない。塾に行けと親に言われてるから、仕方なく塾に通っている。
でもそれでいいと思う。どうせ家にいても、テレビゲームしたりユーチューブ見てるだけでしょ。それぐらいなら、塾で勉強するといい。最初はイヤイヤながら始めた勉強でも、だんだん楽しくなってくるというのは、普通にあることだから。
子供にやりたいことがあるなら話は別だよ。将棋が楽しくて仕方ない、昆虫採集をしてるときが一番幸せだ、無類の読書好きだ、とか。こういう、いわば「ちゃんと遊べる」子供は、将来伸びる。勉強は後でいい。塾でダラダラ勉強してる子供たちにすぐ追いつくから大丈夫。

あくまでひとつの目安だけど、子供の将来性を予見するポイントとして、算数(数学)ができるかどうか、が挙げられると思う。
理系に限らず文系の学科も含めて、全て学問というのは、論理の積み重ねから成り立っている。文学や語学、史学、社会学、文化人類学はもちろん、音楽や芸術にさえ、ロジックは必要だ。
算数(数学)というのは、論理とその運用(主に演繹法)がすごく純粋な形で構成された学問だから、算数が好きな子供は、算数に限らず、学問全般に向いている可能性が高い。
逆に、ロジックの運用が拙いということは、そもそも学問に向いていない可能性がある。
でも、小学生時点で算数が苦手だとしても、学問の道をあきらめるのはまだ早いよ。中学生で数学のおもしろさに目覚める人もいるし、高校で目覚める人もいる(大学で目覚めるのはさすがに遅いかな^^;)
「数学が苦手だから文系」っていう選択は、正直ちょっと寒いな。文系学問の論理性というのをなめてると思う。
純粋現象学(哲学の一分野)の創始者のフッサールは、もともと数学者だった。文系学問でも一流どころの学者は、皆例外なく数学が得意なはずだ。
「数学が得意なのに文系に行く」じゃない。「数学が得意だからこそ文系に行く」であっても、全然おかしくない。

数学者になるようなセンスは僕には全然ないけど、数学の問題を解くことはいまでも好きだ。うんうん唸って難問を解きほぐすのが、すごく楽しい。
論理には人を酔わせる力がある。微積分を大成したニュートンは、ロケットのない時代に、初速いくらで飛ばせば地球の重力を振り切って月に到達するはずだ、とか計算していた。周りの人がどうしようもないバカに見えていたし、神のような万能感に浸っていたのも無理はない。
ニーチェも自分のことを天才だと思っていて、「自分はなぜ、こんなにすばらしい作品が書けるのか」という自画自賛丸出しの文章を書いている。梅毒の末期で、自制心がなくなっていたせいもあるだろうけど。
ニーチェとはスケールが違うけど、文章を書いてハイになる気持ちは僕にもちょっとわかる。数学を解くのも文章を書くのも、要するにどっちも論理の運用で、論理の運用というのは、きっと快感なんだ。

中学、高校と勉強しながら、「自分はそもそも勉強に向いていない」と気付く人もいるかもしれない。これはこれで、有意義なことだ。
そもそも、何のための勉強なのか。
理想は「楽しいから勉強する」だけど、そういう人ばかりではない。学歴を得て有名企業に就職するための「手段としての勉強」の人も多いはずだ。
でも、勉強だけが成り上がる道じゃない。高校を卒業して、専門学校に行って手に職つける生き方が向いている人も、きっといるはずだ。料理人として大成するかもしれないし、美容師として成功する未来が待っているかもしれない。その人だけが持った技術やセンスというのがあるはずで、そこを生かす人生もすばらしいと思う。

「勉強がしんどいならさ、塾なんてやめればいい。勉強だけが生きる道じゃないからね」って子供に言ったら、塾の担当者からたしなめられた。「さすがにそういうアドバイスはちょっと。もっと前向きなメッセージをお願いします」と。
まぁ、担当者の気持ちもわかる^^