院長ブログ

トラネキサム酸

2019.3.16

風邪の人には、「水分摂って布団にくるまって温かくしていっぱい汗かいてください。あ、水分って言っても、ポカリとか甘いのはダメですよ。水かお茶ね」で終わり。
僕のほうでやってあげられることは、基本的にはない。
だって、風邪というのは治癒反応そのものであって、抑え込むべき『病気』じゃないから。
でも、患者のほうでは物足りない顔をする。
「病院というのは病気を治すところであって、病気を治すには薬でしょ?薬、何か出してよ」と顔に書いてある。
医者もサービス業。
患者の要望に応えることも重要だから、こういうときには極力害にならない薬を出してあげる。
まず、シナール。風邪にビタミンCは鉄則だ。
抗酸化を強める意味で、プロマック(亜鉛)もいい。適応外処方だけどね。
咳や痰とか呼吸器系の症状があるなら、ムコフィリン、ムコダインあたりが無難。Nアセチルシステイン、カルボシステイン、いずれも抗炎症作用、抗酸化作用があるから、風邪の治癒を早めてくれるだろう。
あるいは、トランサミン(トラネキサム酸)もいい。のどが痛い、という人にはテキメンに効く。
抗酸化作用があるのはもちろん、シミを消す美白作用もあるから、風邪が治ると同時にお肌がキレイになっちゃうかもよ^^

勤務医の頃、深夜当直してたときに来院した患者。どう見ても、ただの風邪。「病院来る必要ないよ。家で寝てることが一番の薬だろう」って本音では思うけど、上級医の指示に従って、ルーチン通りに採血したり抗生剤出したりしてた。風邪に抗生剤なんて、こんな有害無益な医療行為はないんだけどね。罪なことをしてたなぁ。

まず害をなすなかれ、が医者の基本。
そういう意味で、トランサミンなんてすごく使い勝手がいい。
薬の処方っていう、何か「仕事してる感」を出せて、しかも無害だから^^;
しかしこの薬は、調べれば調べるほど、いい薬だと思う。
トランサミンは、あえてざっくりいうと、必須アミノ酸のリジンみたいなもので、要するにサプリみたいなものだから、副作用はまずない。
肝斑(顔にできる茶色いシミ。ピルを服用する女性に多い)にも適応があって、美容系のクリニックに勤めている先生なら、使ったことのない人はいないだろう。
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4235096/
肝斑患者50人に、1日2回、顔の半分にトランサミン3%溶液を塗り、もう半分にハイドロキノン3%溶液と0.01%のデキサメサゾンの混合液を塗ることを12週間続けてもらった、っていう研究(すげぇ実験だな^^;)。本文に比較写真があがってるけど、トランサミンで本当に改善しているね。
美容だけでなく、マジメ(?)な使い方としては、止血作用があるから、救急現場とかの重度の外傷、外科手術、重度の月経などに投与されている。

トランサミンを作ったのは岡本彰祐博士。
なんとこの先生、トランサミンだけでなく、イプシロン(抗プラスミン剤)、アルガトロバン(抗トロンビン剤)の発明者でもあるというんだから、血液内科医はこの先生に足向けて寝れへんぞー笑
日本よりもむしろ外国で適切に評価されている人で、「抗プラスミンの研究」でフランスの学者からの推薦でノーベル賞にノミネートされたことさえある。

「戦前、慶応大学医学部で生理学の講師をしているときに、召集令状が来ました。北支派遣軍に入り、河南省で栄養失調の研究に従事していました。
ところが当時、大陸で急性熱性ライ病が発生し、兵士らがライ性肺炎で死亡する事態が起こりました。私は血液生理学が専門でしたから、急遽、東京の第七陸軍技術研究所での勤務を命じられ、帰国しました。
ここでの研究で、ある酵素をブロックすれば結節ライは治るのではないかと仮説を立て、様々な実験をしていました。そのときに、東大薬学部の落合英二教授が合成したクリプトシアニン(虹波)という色素に、コリンエステラーぜ抑制作用を発見しました。つまり、虹波がハンセン病の筋麻痺をも改善することになるということを発見したのです。
この成果がきっかけで、私は酵素阻害剤の研究に目を向けるようになりました」

クリプトシアニンは、ルミンAという商品名で現在も販売されている。第三類医薬品だから誰でも買えるんだけど、下手な処方薬よりいい薬だと思う。値段が高いのが難点だけどね^^;ルミンAには抗アレルギー作用があって、この時期、花粉症の人には助けになるだろう。この抗アレルギー作用はヘルパーT2細胞を介したものだということが、最近論文で発表された。
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0199666

プラスミンはタンパク分解酵素のひとつで、岡本博士はその阻害物質を追求した。
注射器で血を抜いて、それを試験管に移して放置すると、ゼリー状に凝固する。このときに働く主役が、フィブリノーゲンというタンパク質だ。
普通の血液では、その濃度は0.2〜0.4%であるが、非常に変動しやすく、細菌感染などの炎症が起きると数倍になる。
なぜだろうか。その生理的な意味は?
このタンパク質が、細菌の封じ込めに役立っているのではないか。
1946年にイギリスの研究者がフィブリノーゲンを急速に分解する酵素を発見し、これをプラスミンと名付けた。プラスミンの作用によりフィブリノーゲンが著しく減少すると、致死的な大出血が起きる。これを避けるために、「プラスミンの抑制物質」を探すのが、岡本博士の目標だった。
こうして精力的に研究を続けた岡本博士は、2系列3種類の新薬を世に出すことに成功した。
それも、そこらへんの取るに足りない薬ではなく、3種類の合計で年商100億円の売り上げを持続している薬だ。特にトランサミンは、WHOの必須医薬品モデルリストに収載されているし、イギリス軍や米軍でも常備薬として採用されている(軍隊で使われているということは、有効性の何より雄弁な証拠なんだよ)。

岡本博士は東京出身の慶応ボーイなんだけど、戦後は神戸大学の教授に招聘されて、そのまま神戸を終の住処とされた。
研究者として超一流だったことはもちろんだけど、教育にも非常に熱心だった。インドネシアの教育委員会のお偉いさんたちが、日本の教育モデルを学びたいと岡本博士にお願いしたとき、博士は彼らを連れて、灘高校や神戸大学附属中学校へ連れて行き、教育現場を案内した。
岡本博士が神戸大学附属中学校に来たとき、僕はそこの生徒だった。当時、「探究」という自由課題の授業があって、それを視察に来た岡本博士と、僕はすれ違っている。でももちろん、僕は博士を認識していない。
すれ違った25年後の今、博士が生前書いた本を読んで、彼の歩んだ人生の足取りを追いかけている。人生の縁の糸は、どこでどんなふうに交差してるか、わからないものだね。

参考:『岡本彰祐アンソロジー』岡本歌子編 築地書館