院長ブログ

芸術

2019.2.4

ワシントンポストの記事から、こんな話を紹介します。
https://www.washingtonpost.com/lifestyle/magazine/pearls-before-breakfast-can-one-of-the-nations-great-musicians-cut-through-the-fog-of-a-dc-rush-hour-lets-find-out/2014/09/23/8a6d46da-4331-11e4-b47c-f5889e061e5f_story.html?utm_term=.a565bb2de83e

「ワシントンDCの地下鉄に男が座っている。ふと立ち上がり、バイオリンの演奏を始めた。
寒い1月の朝である。彼は45分にわたり、バッハ、シューベルト、メンデルスゾーンの作品を演奏した。
その間、ラッシュアワーということもあって、数千人もの人々が駅を通り過ぎた。その多くは通勤途中の人々である。

演奏を開始して3分後、ある中年男性が、音楽を演奏する彼に目を止めた。彼は歩度をゆるめ、数秒立ち止まったものの、やがてまた職場に急ぎ始めた。
その1分後、バイオリニストは彼の最初のチップを得た。ある女性がバイオリンケースに金を投げ入れたのだ。が、彼女もまた、立ち止まることなく歩み去った。
数分後、壁にもたれて彼の演奏をしばし聞く者があったが、彼も腕時計に目をやり、また歩み去った。

演奏家に最も大きな注目を払ったのは、3歳の男の子である。少年はこの演奏の美しさに息をのみ、思わず足を止めて見入った。彼の手を引く母は、彼をせっついて先を急がせようとした。
しかし少年はその場にとどまった。母に強く押されて、ようやく子供は歩き始めたが、歩きつつもなお、バイオリニストを何度も振り返った。

その音楽家が演奏した45分間に、立ち止まり、少しでもそこにとどまったのは、たったの6人だった。
およそ20人がチップを投げたが、わざわざ立ち止まって聞くことはなかった。彼が手にしたのは32ドルだった。
彼が演奏を終え、音楽の余韻を残す沈黙が周囲に満ちたとき、誰もそこにいなかった。拍手なんて誰もしなかった。

誰も気付かなかったが、このバイオリン奏者はジョシュア・ベル、世界最高の音楽家の一人である。
彼は非常に難しい技巧の要求される旋律を、350万ドルのバイオリンで奏でたのだった。

彼が地下鉄で演奏する二日前、ボストンの劇場で行われるジョシュア・ベルのチケットは、一席100ドルと高額にもかかわらず完売していた。

これは実話である。
ラフなシャツとジーパンを着て、野球帽をかぶって地下鉄で演奏するジョシュア・ベル。
これはワシントンポストの発案で、社会実験の一つとして行われたものだった。

この実験から得られる教訓。
我々は、世界最高峰の音楽家が演じる最高の音楽にさえ、立ち止まって耳を澄ませることはない。
ということは、我々は普段の生活の中で、一体どれほど多くの美しいものを見逃していることか」

おもしろい実験だ。
僕らがいかに芸術を理解していないかがよくわかる。
朝の通勤時間帯で忙しいとはいえ、世界でトップレベルの音楽家が目の前でライブ演奏をしていると知っていれば、ちょっとぐらいは足を止めて、彼の音楽を聞こうとするだろう。
しかしこれは、音楽を聞いているのではない。いわば、ジョシュア・ベルという『情報』を聞いているに過ぎない。
実際、彼をジョシュア・ベルその人だと気付かない多くの人は、彼の演奏を耳にしても何も感じないで素通りして行った。
彼の奏でる音楽の美しさに気付いたのは、少年だけだった。
少年は、もちろんジョシュア・ベルを知らない。ただ、目の前の男が演奏する音楽をきれいだと思った。そしてもっと聞きたいと思い、立ち止まった。
しかし大人は気付かない。
ゴミ箱の横に立つラフな格好の男。彼の奏でる旋律が、音楽表現の到達し得る最高度の美しさであることに、大人は誰も気付かなかった。
それなのに、ジョシュア・ベルの演奏するコンサートのチケットには、惜しみなく大金を払う。
もうね、いい加減、通ぶるのはやめたほうがいいな^^;
ほとんどの人は、芸術なんてわかっていない。身近にある美しさに気付かない。
世間から太鼓判を押された美しさのことを芸術だと思っているだけなんだな。