院長ブログ

ママ友

2018.8.29

「男のまったくあずかり知らない世界だろうが、ママ友の世界というのがあるのだよ。
だいたい同じくらいの歳の子供がいるお母さんたちが、一緒にお茶したりランチしたりしながら、旦那のグチやら自慢やらの雑談に花を咲かせる、ゆるやかな社交の場、といったところだよ。
それは入会資格のいるような「会」では決してない。リーダーがいるわけでもなければ、月会費が決まっているわけでもない。
しかし、境遇の似たような同世代のママたちが複数集まれば、そこにはおのずとパワーバランスが生まれる。カチッと固定したものではないが、そこには確かに「上下関係」がある。
このヒエラルキーのトップにいるママのことを、ボスママと呼ぶ。ママ友同士の会話は、自然とこのボスママを中心にしてまわるようになる。
集団の性質は、このボスママの性格がかなり反映される。たとえばボスママがいじめっ子気質で、立場の弱いママのかげ口を言ったり、排他的なところがあると、集団の性質もなんとなく殺伐としたものになったりする。

ボスママになるには、いくつかの条件がある。
まず、きれいであること。これはね、男から見た「きれい」と少し違う。「若くてかわいい」ではないんだ。年相応に年齢を重ねていてもいい。「この人、こぎれいにしているな」って、女が同性を評価する感性というのがあるんだよ。そこで認められることが、ママ友内での「きれい」なんだ。
それから、夫のステータス。夫の職業、収入、家柄とかね。今の社会では、経済力というのは、実際の腕力よりもはるかに強い「力」だ。医者、弁護士とか、名のある企業に勤めているとか。旦那がどんな仕事をしているかは、ママ友内での発言権の強さと直結している。
最後に、子供のスペック。子供が勉強ができるかどうか、運動神経がいいか悪いか、ルックスはどうか。男の子ならハンサムか、女の子ならかわいいか。ママさんは、別のママの子供を実によく観察しているものだよ。で、お互いの子供のことを褒めあったりするが、それは社交辞令であることもあれば、本気でうらやましく思うこともあるだろう。子供が有名中学なんかに受かった日には、ママ友内での地位も二階級特進、といったところだ。

逆の場合を考えてみればいい。半分「女」を捨てたような汚い格好してて、旦那はスッカンピン、子供はパッパラパーっていうママが、ママ友内での尊敬を勝ち得ると思う?
女が、他の女の力量を見抜く観察眼ってのはすごいよ。ああいう値踏みは男にはできない。こうして、ママ友内での暗黙の値踏みの応酬をくぐり抜けた勝者が、ボスママとして場の雰囲気の仕切り役になるわけだ。

実はね、うちの嫁は、いわゆるそういうボスママなんだ笑
家で俺に見せるのは、妻としての顔であったり母としての顔であったりするんだが、ママ友内での顔という、俺が全然知らない顔もあるわけだ。
別に不必要に偉ぶる性格じゃないから、ママ友内で誰かをいじめたり、っていうことはないと思うんだけど、どうかな、詳しいことはわからない。
二十年以上連れ添ってなお、俺の知らない顔がある。互いのことを知り尽くして、終わり、じゃなくて、未知の面があるほうが、案外夫婦としてうまくやっていけると思うんだ。」

きのう、ごうちゃんと中学の同級生と飲んだんだけど、そのときに同級生が言ってた話。
ママ友内での人間関係の力学ってのがあるんだね。
物理は得意やけど、この「力学」は知らなんだ笑
「幸せも不幸も、他人との比較から生まれる相対的なものだ」という前提に立てば、ボスママに君臨するということは「最も持てる者」ということで、これほど楽しい人間関係もないだろうけど、そのヒエラルキーの下のほうにいるママさんは、正直苦痛だろうね。
苦痛を感じているなら、サッと抜けたらいいようなものだけど、部活とかサークルみたいなカッチリした集団じゃないだけに、それだけにかえって簡単に抜けにくいところがあるかもしれない。

嫁がいくつになっても身なりとかこぎれいにしてるのは、夫としてはうれしいことかもしれない。
でも、家計のためにブランドものとか買えずに小汚いカッコしてても、育児、家事に尽くしてくれる嫁なら、僕としては全然オッケーで、「ママ友ヒエラルキー?そんなめんどくさい人間関係、捨ててまえ。幸せは主観的なもんやろ」って言ってやりたいんだけど、こういう僕の価値観について来てくれる女性はあんまりおらへんやろなぁ。