院長ブログ

ドラマ

2018.8.22

最近、将棋のネット対局をするのが日課になっている。
ハマるともっとやりこんでしまいそうなので、1日に2,3局するだけにとどめている。
20級から始まって順調に昇級したけど、2級で頭打ち。たまに初段の人に勝つこともあるけど、3級の人に負けたりもして、ずっと2級のまま停滞している。
結局このあたりが今の自分の実力ということなんだな。

どうすればもっと強くなるかは分かっている。序盤をもっと研究することだ。
先手なら早石田、後手ならゴキゲン中飛車で指すことがほとんどで、それ以外の戦法を知らない。
序盤のかけひきは、将棋の強さというよりも、形を知っているかどうかの「知識」の問題だから、いろんな戦型の強み弱みを把握しておくことが重要なんだけど、その勉強を本気でやりだすと時間をどこまでも食われてしまうだろう。
将棋はあくまで趣味であって、趣味が仕事にまで影響し始めてはまずい。
だから、研究しない。実践で勝った負けたを一喜一憂しているだけだ。

序盤をうまく乗り切って、中終盤にかけて定跡をはずれる力将棋に持ち込めたら、そこからはいい勝負になるんだけど、序盤で大きなリードを許すことも多くて、そうなるとまず勝てない。
指し手に困って、「相手が間違えてくれれば優位になるけど、適切に応じられれば不利」みたいな手をしょっちゅう指す。
棋譜を振り返って悪手を反省することがないから、同じような失敗を何度も繰り返す。
そりゃ万年2級だよな、と我ながら思う。
将棋のレベルとしては高段者から見れば目も当てられないものだろうけど、指している僕は楽しんでいる。
別にプロを目指すわけじゃない。へぼ将棋、大いに結構と、開き直っている。

今やプロ棋士でさえコンピューターに勝てない。
レベルの高い棋譜が見たいのなら、日本将棋連盟の棋譜サイトよりもフラッドゲート(コンピュータ将棋のための連続対局サーバー)に行けばいい。
局面の最善手を導き出すのは、人間ではなくコンピューターだということは、認めざるを得ないんだから。
でも、フラッドゲートで棋譜を勉強している人は、よほど物好きな人で、多くの人はいまだにプロ棋士の棋譜を見ている。
なぜだろう。
人間は、もうコンピューターに勝てないんだ。
ハイスペックなコンピューターが精緻なアルゴリズムに基づいて紡ぎだす棋譜のほうが、うっかりや凡ミスの多発する人間の棋譜よりも、はるかにレベルが高いはずなのに、なぜ、いまだに僕らは人間の棋譜を見ることを好むのか。

きのうまで夏の高校野球が行われていた。
秋田の金足農業と大阪桐蔭の決勝戦。
秋田県勢としては103年ぶりの決勝進出で、勝てば秋田県はもちろん、東北として初の甲子園優勝ということで、注目の一戦だった。
注目度は数字にはっきり表れていて、平均視聴率は関東地区で20.3%、関西地区で15.9%、仙台地区で27.8%、福島では34.6%だった。
高校野球って、高校生のクラブ活動だよ?なぜいい年した大人たちが、彼らのプレーに熱狂するのか。
プロ野球ならまだわかる。プロ野球選手というのは野球で飯を食っている人たちなわけ。ハイレベルなプレーを見せるのが彼らの仕事なんだから、それに注目するのは筋の通った話だ。
ところが実態は逆で、近年プロ野球の野球中継は視聴率がふるわず、テレビの放映権料も低下傾向だ。
要するに、どうも僕らは、レベルの高さを求めているのではないらしい。僕らが見たいのは、プレーそのものというよりは、その背後にあるドラマのようなんだ。

小学生のいとこが地区の野球チームに所属していて、その試合があるということで、見に行ったことがある。
守備のエラーやら暴投やら、試合のレベルとしては両チームともすごく低くて、点の取り合いみたいな展開だったけど、プレーしてる子供たちの必死さは如実に伝わってきた。
何しろ野球してる子供たちのすぐ近くで観戦してるものだから、彼らの表情とか動きがありありと見えた。久しぶりに面白い野球を見たと思った。

僕の棋譜は恥ずかしくて人に見せれたもんじゃないんだけど、互いの手の応酬のなかにドラマを感じる対局をできることがあって、そういうときはネットの向こう側にいる顔も知らない対局者に対して、妙に親近感がわいたりする。
コンピューターと対局できるスマホのアプリをダウンロードしてるんだけど、ほとんど使っていない。
コンピューター相手に、ドラマって感じられないから。結局やっぱり、人間なんよね。