院長ブログ

大人の階段

2018.6.26

ある程度親しくなった友人には、「自分がいつ大人になったと思う?」という質問をすることにしている。
大人、といっても、「初めて酒を飲んだとき」とか「初めて女を知ったとき」みたいな、即物的な意味での大人じゃなくて、もっと抽象的というか、もっと精神的な意味での大人ね。
各人各様の答えがあって、他のどんな質問よりもその人の人間性をあぶり出してくれるようで、おもしろい。
かれこれ、もう十年ほどこの質問を続けている。
だから僕の雑記ノートには、これまでの友人たちの「大人の瞬間」がたくさん記録されている。
印象に残った答えを紹介しよう。

「親元を離れてこうやって県外で生活してると、お母さんが何かと心配して電話をくれる。寒くなってきたけど元気にしてる?とか、今テスト勉強で大変だろうけど、大丈夫か、とかね。
私、小さい頃から体はそんなに丈夫じゃなかったから、親としては特に心配なのね。
お母さんが電話をくれたとき、たまに、本当に体調が悪いことがある。
でもそういうときに、私、本当のことは言わない。元気だよ、大丈夫だよって答える。
ほら、小さい子供って、親の気を引こうとして、大して痛くもないケガで大げさに泣いたりするでしょ。いつの間にかそういうことがなくなっていくのが、成長っていうことなのかもね。
そう、私が大人になったのは、親に心配をかけまいとして、初めてウソをついたとき」

なるほど、と思った。
親は、甘えさせてくれる存在ではあるけど、遠い県外に暮らすお母さんに本当のことを言ったところで、いたずらに心配させてしまうだけ。
甘えられる人に、あえて甘えない。
確かに大人だ。

「年の離れた兄貴に子供がいてさ、5歳の男の子なんだけど、すごくかわいいんだよ。
だから俺、この年齢でオジサンなんだぜ笑。俺も早くこんな子供が欲しいなって思う。
俺によくなついてくれて、一緒にレストランに食事に行ったりもする。俺は病気なんてしたことないくらいに健康だから、何を注文して何を食べてもいいんだけど、この甥っ子の食べるものには、俺、すごく気を使う。
変な農薬を使った野菜じゃないだろうか、とか、こんなの食ってアレルギー起こさないだろうか、とかさ、自分は普段ろくに食べ物に気を使わないくせに、この子が口に入れるものだと思うと、異常に神経質になってね。
で、この子がそれを食べて、にっこり笑顔浮かべて、「おいしい」って言うと、何ていうかな、俺、もう満腹な気持ちになるんだよ。
俺はもう食べなくてもいいや、ぐらいな気持ちに。いや、もちろん食べるんだけどね笑。
そう、俺が大人になったのは、誰かの「おいしい」が、自分の「おいしい」以上にうれしい、そういう気持ちがこの世に存在することを知ったとき」

これ、今のところ僕のなかでは、ベストアンサーだな。
でも、こういう感情は彼に限らず、世間のお父さんお母さん誰しもが持っているものじゃないかな。

うちで働いている看護師が、こんなことを言っていた。
「健康な子供に育ってほしい、病気になって苦しむことができるだけないように、と思って、私、子供にはワクチンを積極的に打たせていました。
定期接種だけじゃなくて、任意接種もすすんで受けさせていました。
『ワクチンは病気を未然に防いでくれるありがたいもの。国が認めている医療なんだから、いいものに違いない』って、思い込んでいたんです。
3歳のときに日本脳炎のワクチンを打ちました。
そしたら、ワクチンを打ったその日に全身に発疹が出て、しかもその日以後、牛乳とか牡蠣とか、いろんなものにアレルギーを起こすようになってしまって。。。
病院に連れて行きましたが、医者はワクチンが原因だと認めませんでした。
因果関係がどうのこうの、ってレベルの話じゃありません。1たす1は2、ぐらいに明らかな話なのに、病院は非を認めませんでした。
私が変わったのはその一件があってからのことです。
それまでは私、もっと無邪気に国のことを信用していました。
ワクチンとか薬とか、医療行為が原因で病気になる、っていう話は、看護師をしているわけですから、何となく話には聞いたことはありました。
でもそんなのはごく一部の例外であって、普通の人はそんなひどいことにはならないだろう、って、根拠もなく思っていました。
まさか、よかれと思って打ったワクチンで、他ならぬ我が子を傷つけてしまうなんて。
国の言うことを素直に聞いているだけでは、自分の子供を守れないのだと知りました。
以後、ネットでいろいろ情報を調べるようになって、今の医療がいかに矛盾に満ちたものか、ということを知りました。
ここのクリニックで働くようになったのも、そういう自分なりの苦い経験があって、院長の治療方針に共鳴したからです。
いつ大人になったかって?
私が大人だなんてとんでもない!
一度大きな失敗をしてしまったんです。もう二度と同じ失敗をしちゃいけない、この子を守るんだという思いで、今も勉強中の私です。
この子がもっと大きくなって、やがて成人したとき、ようやくそのときになって初めて、私も大人になったな、と言えるかもしれません」

子供の「おいしい」が自分の「おいしい」以上に喜ばしいのと同様に、子供の傷は自分の傷以上に痛い。
親になるということは、そういう気持ちを我が子に持つということであり、その気持ちを持っている限り、十分にいいお母さんやと思うよ。