院長ブログ

コンサル

2018.6.8

総合病院で働いていると、他科からのコンサルというのがある。
「間質性肺炎で入院してる人だけど、不穏でおかしな言動があるから何とかしてくれ」みたいな相談が精神科に来るわけ。
僕はこれがすごく苦手だった。
そういう精神症状って、治療の副作用によるものがほとんどだから。
間質性肺炎の治療なら副腎皮質ステロイドの投与を受けているはずで、ステロイドの副作用でせん妄とかの精神症状が出るのはしょっちゅうあること。
原因はわかってるんだから、対処としては、原因薬剤の中止(あるいは減量)というのが基本なんだけど、コンサルしている先生は薬を減らす気はない。「そこを何とかするのが精神科の仕事だろう」ぐらいに思っている。
本当はきちんと話し合わないといけないんだよね。
「コンサル頂きましたが、まず、ステロイドの減量が先決かと思います。その上でまだ不穏が消退しないようでしたら、改めてご相談ください」という返書をしたためるのが筋道。でも、総合病院の雰囲気を知っている医者ならわかるだろうが、そういうことを勇気を持ってはっきり言える医者というのは、まずいない。
「ご紹介ありがとうございます。診察させて頂きました。リスペリドンを処方しました」みたいな流れに落ち着くのが相場だろう。
薬の副作用で出た症状を、別の薬で抑え始めたわけ。
こうして、モグラ叩きが始まる。別の薬は、さらなる別の副作用を生み出し、その副作用を抑えるためにさらに別の薬が投与される。
バカみたいな話だけど、こういうのが病院でやってる、いわゆる『治療』。
この治療で一番不利益を被るのは、患者自身に他ならない。

僕もそういうデタラメにずいぶん加担してきた。
当時から薬害の知識はある程度あったから、余計につらかった。患者にとって利益がないとわかってて行う治療を、立場上やらざるを得なかった。
スタチンを投与されてる患者がうつ病を発症してる。ああ、スタチン誘発性のうつじゃないか、って見てすぐわかるけど、主治医への配慮が先に立って、スタチンを中止すべき、とは言えない。新たな抗うつ薬の投与、ということになる。引き算すべきところ、足し算で対処せざるを得ないんだ。

70代のとあるおじいさんのことを覚えている。
とある病気を発症し、ステロイドパルス療法を受けていた。夜間不穏がひどいということで精神科にコンサルがあり、精神科的なフォローを僕が担当することになった。
自営業で、電気の配線をする仕事をしている人で、数ヶ月前までは元気で、普通に仕事をしていた。『電柱に登ることもラクラクとできた』ぐらいに元気な人だった。ずんぐりとした小柄な体形だけど、言われてみれば、頑丈そうな武骨な手をしていて、こういうのを職人の手、というのかなと思った。
不穏に対して、ある薬剤を投与するも、治らない。現場の看護師から愚痴が出る。「出して頂いている睡眠薬も効かず、まったく寝てくれません。寝ないばかりか、どこかに行こうとするので、常に監視しないといけません」
拘束対応となって、ベッドに寝たきり。
日に日に衰弱し、あるとき、拘束が解除されていたとき、転倒。以後、意識不明となり、数日経って息を引き取った。
医療殺戮。一丁あがり。
こんな具合に、何人殺してきたことか。
これからも殺し続けるの?

罪とは何か。
自分の良心に反することをあえて行うこと、と定義するならば、僕はどれほど罪深いことをしてきたことか。
「僕だけじゃない。他の医者、誰もがやっていることだ」とか、「仕事ってそういうものだよ。ラクな仕事なんてない。みんな矛盾の中で疑問抱えつつ頑張ってるんだ」って自分を励ましたりもした。感情を持つからつらいのであって、極力感情をまじえないように、心の一部を麻痺させたままで働くようにすれば楽になれるんじゃないかと思ったけど、、、そんなことはとても無理だった。気持ちのきつさは変わらない。
本当に患者のためになる治療をしているんだ、って自分で自分に確信が持てないような仕事に、プライドなんて持てない。