毎日将棋のネット対局をしている。
勝ったり負けたりだが、終局後、気になる局面があればソフトで解析する。
たとえば、最近の対局からひとつ、こんな局面を紹介しよう。

最近僕は嬉野流をよく指すんだけど、相手も同じ嬉野流で、相嬉野流の展開になった将棋。画像は後手の僕が60手目5八銀と打ったところ。
ここで先手の投了となり、僕が勝たせてもらった。以後、同金なら同飛車成、6八合駒、6九銀で詰み。
しかし、同金以外の変化は読み切っていなかったので、この局面をソフト(やねうら王)に読ませてみた。
すると、なんと、後手の評価値が-330点。ほぼ互角ながら、僕のほうが若干不利と出た。
どういうことか、わかりますか?
僕は勝勢を意識していたし、相手も劣勢を自覚していた。だからこそ、投了したわけだ。
ところがソフトの読みは、むしろ逆。僕のほうがよくないという。
実際、この局面からソフト同士で対局させてみると、先手はまず7六歩と突いて玉の逃げ道をあけ、その後大熱戦となり、もつれにもつれた。
ようやく127手目に終局したが、結果は後手玉の詰み。
投了の局面から終局まで67手も続くわけだから、素人同士の対局ならまだまだ互角で勝敗不明だし、神のように強い者(ソフト)同士が指し継いだら勝敗が逆転した、ということだ。

将棋には序盤、中盤、終盤とある種の流れがあって、互いに頭の中を読み合って一局の将棋を紡いでいくわけだけど、そのプロセスで、対局者はお互いのことを信頼し合っている。
先を読むが、相手も同じように手を読んでいるはずだから、自分の頭の中にある局面と同じものを、相手も頭の中で見ているはずだ、という信頼である。
「こういうふうに間違えてくれたら都合がいいな」というスタンスでは、よほどの実力差がない限り、勝てない。逆に信頼が行き過ぎて「相手は強い人だから、この手はすでに読んでいるに違いない」と、相手が読み抜けているにもかかわらず、買いかぶってしまうこともある。
こういう対局者心理というのは、極めて人間的だと思う。
ネット対局ではなくてリアルの対局だとこのあたりはもっと露骨に出て、相手の駒を指す手つきがいかにも自信満々だと、すっかり読み切られている気持ちになる。ネット対局でも、時間の使い方でそういう雰囲気は感じる。
でもソフトにはそういう予断がない。淡々と局面の優劣を判断する。
手つきとか時間の使い方とか、そういうハッタリはソフトに当然通じないし、もっと言えば、一局の流れ、というのもソフトは見ていない。
人間同士の対局の場合、局面が一手ごとに変化して、対局者は互いに優勢や劣勢を感じている。一直線に押し切られる将棋もあれば、逆転につぐ逆転という将棋もある。
上記の将棋は僕が一方的に優勢な展開で、持ち時間も僕に余裕があったので、相手の人は僕を信頼して戦意喪失してしまった。評価値が乱高下するような逆転の連続の将棋なら、相手の人もまだまだ希望を捨てずに7六歩から玉を逃がす手を考えたと思う。

かつてコンピューター将棋の黎明期には、コンピューターの指し手を見て、人々は失笑したものだった。
それが次第に強くなり「ふむ、7級くらいの力はあるな」、もっと強くなって「まぁ強いね。有段者レベルだろう」
さらに強くなって、ついに2013年には公の場で初めてプロ棋士を破った。その後もソフトは強くなり続け、2017年には名人を破るに至った。
さらにソフトの進化はとどまるところを知らず、世界コンピューター将棋選手権では優勝ソフトが毎年のように入れ替わっている。
ソフトは、もはや人間には遠く及ばない異次元の強さを手に入れた。

こういう状況になると、どういうことが起こると思いますか?
ソフトが人間を評価するようになります。
かつて人間がヘボ将棋ソフトを上から目線で評価したように、今度はソフトが人間の指し手を評価するようになる。
この事態を「コンピューターに評価されるなど屈辱的で受け入れ難い」と否定的にとらえる人もいれば、「ソフトの正確無比な形勢判断のおかげで、客観的な評価が可能になった」と肯定的に受け入れる人もいるだろう。
個人的には、こんなに楽しい時代はないと思っている。
これまでは、素人には自分の将棋の検討なんて、不可能だった。ところが今や自分の対局をソフトで解析すれば、自分の手が好手だったのか悪手だったのか、悪手だったならどうすればよかったのか、すぐにわかる。ある程度の基礎があれば、あとはソフトを使った自学自習で強くなれる。プロ棋士よりも強いソフトを家庭教師に使えるのだから、極めて能率的だ。

ソフトの進化がもたらしたのは、それだけではない。
棋譜資料が残っている江戸時代の名人や、すでに物故した名人(大山、升田など)の棋力を、棋譜の解析によって、客観的なレーティングによって推定することができる。
客観的、というところが重要で、たとえば将棋ファンが知りたい次のような質問に対して、これまでは主観を排した答え以外は不可能だった。
「現在の将棋界で一番強いのは誰なのか」
「将棋の歴史上、一番強いのは誰なのか。やはり羽生なのか、それとも別の若手か、あるいは江戸時代の名人か」
「全盛期の羽生と全盛期の大山、一体どっちが強いのか」
「江戸時代の将棋の名人は、名前だけのものか、それとも本当に強かったのか」
この論文が、こうした問いに答えを与えている。
『将棋名人のレーティングと棋譜分析』
https://ipsj.ixsq.nii.ac.jp/ej/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=106492&item_no=1&attribute_id=1&file_no=1&page_id=13&block_id=8
2014年の論文だから、藤井聡太七段の名前はまだない。5年前の論文であるということを念頭において、という条件付きではあるが、、、
・勝敗の結果および棋譜内容からの推定によると、この20年で最強のプレイヤーは羽生である。
・羽生名人は、大山15世名人よりも、レーティングで約230点優れている。
など、おもしろい分析だと思った。

ソフトの出現によって、プロ棋士の威厳は地に落ちる、という悲観論があるが、逆じゃないかな。
ソフトがプロ棋士を正当に評価して、「やっぱりさすがだな。アマチュアとは別格だ」ということが、素人にわかりやすく伝わる可能性もあると思う。
いずれにせよ、技術の進化は止められないんだから、前向いていくしかないんだよね。