中学受験を目指す小学生のための塾の講師をしている友人がいて、彼が塾で使っているという算数の問題集を見せてくれた。
パラパラと見ていると、こんな問題があった。
『池のほとりにツルとカメがいます。ツルとカメは全部で14匹いて、その足をすべて合計すると44本です。ツル、カメはそれぞれ何匹いますか』

「まず、言葉の使い方ね。鶴は鳥類だから、数え方は1羽、2羽の「羽」。
亀は匹でもいいけど、鶴と亀っていう縁起物を並べている状況を踏まえるなら、亀はミドリガメやクサガメみたいな小さなタートル(turtle)ではなく、リクガメのような、ある程度の大きさを備えたトータス(tortoise)である可能性が高い。
となると、単位としては、「匹」よりは「頭」が適切だろう。算数は国語ではない、と言われれば確かにそうだが、まず議論の前提として、このあたりは正確にしてほしい」
「いや、でも、池のほとりに、ってあるよ。池のほとりに複数匹集まる亀となれば、ミドリガメみたいな小さい亀だろう。リクガメが集まっている状況というのは考えにくいと思う。生物的な観点からいうと、リクガメは群れない。単独行動が基本だから」
「そこを言うのなら、鶴と亀という異種の動物が至近距離で集まっている状況自体、かなり特殊だよ。ある程度広い範囲を持つ「池のほとり」を、双眼鏡で観察したのかな。
君が生物学を持ち出すのなら私もそれに乗っかるが、そもそもこの問題文の記述は、鳥の足が2本であることを前提にしているようだが、これはまったくナンセンスだ。
鳥の足、と簡単に言うが、「あし」には,脚(leg)と足(foot)の二つの概念があって、両者を合わせて肢(limb)と呼ぶ。さらに肢は、前肢と後肢に分けられる。
鳥は進化の過程で前肢を翼に変えたのだが、だからといって、前肢がなくなったわけでは決してない。「鳥の足は2本である」という前提は、生物学的には不正確極まりなく、看過できない」
「状況の不自然さで言えば、鳥類と爬虫類という異生物の頭数をたし、しかもそれらの足の数に注目するというのは、常人の発想を超えているね。
鶴と亀だからまだしも許容されるだろうけど、問題の設定を変えて『部屋にゴキブリと人間が合わせて5個体いる。足の数の合計は31本である。ゴキブリ、人間の各個体数を求めよ』とでもしてやれば、出題者の異常性が浮き彫りになるだろう」

いい年した大人が寄ってたかって小学生の問題集にツッコミいれまくるっていう笑
でもそんなチャチャをいれつつも、鶴亀算の解き方のページを読みながら、僕は感動していた。
「すべての個体が鶴だったら」と仮定して、そうだった場合の足の合計本数と実際の本数のズレから、各個体数を求めていく、というやり方。
芸術的やなぁ、と思った。
方程式の解法という目線で見れば、要は、未知数の係数をそろえて引き算している、ということに過ぎないんだけど、x、yの未知数を置いてシステマチックに解くやり方ってさ、洗練されすぎててつまらなんだよね。
意味を考えずに手さえ動かせばできるから確かに便利なんだけど、一周回って、小学生流のやり方に、何とも言えない味わいを感じるんだな。
結局やってることは方程式と同じだったとしても、「すべての個体が鶴だったら」っていう、その手作り感ね。こういうのが出てくるのは、小学校の算数までだと思う。

あとあと数学をやる段階になって必要になるのは、方程式の考え方のほうだ。方程式を作ったほうが見通しがいいし、何かと応用がきく。
二元の一次方程式として理解すれば、じゃ、三元は?n元は?となって、一般性があるし、さらに、行列を使えば非常にクリアに表現できる。
中学、高校、大学と、数学の内容が高度になればなるほど、抽象度も一般性も高くなる。それは空高くにどんどん上がっていくようなもので、より広い範囲を俯瞰で見ることができるようになる。
でも、そういう数学の便利さを分かって、なお思うんだ。ハイハイする赤ちゃんの目線ほどの高さしかなくても、それにはそれ相応の味わいがあるものだな、と。