認知症に対するアプローチのひとつとして、コウノメソッドがある。河野和彦先生によって提唱された治療体系で、お上(日本認知症学会)が行う一般的なアプローチとはずいぶん異なっている。
個人的に「おもしろいな」と思った特徴を要約すると、
・薬は否定しないが、その使用は副作用に配慮して必要最小限であること(抗認知症薬(ドネペジルなど)、抗精神病薬(クロルプロマジンなど)、漢方(抑肝散など))
・家族天秤法(投与する薬の量の調節を患者家族に任せる)
・フェルラ酸、アンゼリカ、ルンブロキナーゼなどのサプリメントの使用。
・GCS(グルタチオン、シチコリン、ソルコセリル)を使った点滴。
といったあたりになるだろうか。

こうしたアプローチのすべてを河野先生が編み出したわけではない。
たとえば認知症のBPSD(周辺症状)に対して抗精神病薬が有効なのは精神科医の間では知られていたし、レビー小体型認知症の幻覚・妄想に抑肝散が有効であることは荒井啓行(東北大学)の報告によるし、認知症による歩行障害にグルタチオンが効くことは柳澤厚生(元杏林大学教授)の報告による。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/geriatrics1964/43/5/43_5_549/_article/-char/ja/
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1111/ggi.12696
河野先生の優れたところは、こういう「いいもの」を何でも取り入れる柔軟さにあるんじゃないかな。こういうのって案外できそうでできないんだ。お上の方針からはずれた医療を行うのは、ずいぶん勇気のいることだからね。
家族天秤法は、これまでありそうでなかった方法だと思う。
一般には、薬の投与量を調節する権限は医者にしか与えられていない。患者のことを一番理解しているのは、医者ということになっているから。しかしこれはもちろん、必ずしもそうではない。患者を身近に見ている家族こそ、患者の状態を一番把握しているもので、家族天秤法はこの現実を柔軟に踏まえている。

コウノメソッドのおかげで救われた患者の数は計り知れない。認知症患者を救う方法は、オーソモレキュラー栄養療法だけではないのだな、と認識する。
ただネットを調べると、コウノメソッド(および河野先生)に対する意見は好意的なものばかりではないようだ。
お金の問題でもめたようだけど、個人的にはこういうゴシップ的な話には興味はない。清廉潔白で金にきれいな人でも治せない医者では意味がないし、有能な医者ならばそれ相応の金を求めたって別にいい。
そういうゼニカネの話ではなく、コウノメソッドの方法論に対するまっとうな批判(筋の通った批判)には興味がある。
https://ameblo.jp/lewybody/entry-12212746005.html
このブログを書いた人は、もともとはコウノメソッド実践医だったが、その資格を返上してしまった。
文中、いろいろ理由が挙げられているけど、僕が思うに、結局のところ「河野先生のことが好きではなくなった」ところが根っこじゃないかな。
コウノメソッドの方法論自体に対する批判としては、弱いと思う。「コウノメソッドにはまだ不完全なところもあるし、河野先生に100%同意できるわけじゃないけど、頑張ってやっていこう」というスタンスでも行けたはず。それでもなお、はっきり資格を返上してまでノーを突き付けたというのは、理屈よりは気持ちの問題だと思う。

僕はコウノメソッド実践医ではないけど、コウノメソッドのなかには僕の診療に取り入れたい方法がいくつもあるよ。
シチコリンとかソルコセリルなんて薬の名前は、正直僕には初耳だった。でもずいぶん効くようなんだ。石黒伸先生の著書『告白します、僕は多くの認知症患者を殺しました』のなかに、多くの著効例が挙げられている。
上記のブログにはシチコリンによる死亡例のことが書かれているけど、死んだ人よりは救われた人のほうが圧倒的に多いんじゃないかな。ひとつの極端な例を持ち出しての全否定、というタイプの主張には、慎重でありたい。
フェルラ酸は、米ぬかに含まれている成分。「グロービア社のものでないと効かないよ」と言っちゃったところが河野先生、まずかった。それで他社の反感を買ってしまった。僕なら「米ぬか食っとけばいいんですよ。意味合いとしては同じです。どこ社製であれ、高いサプリなんて買わなくていいです」とか言って、両方の会社から攻撃されそうだ^^;
アンゼリカというのは、アンジェリカともガーデンアンゼリカともいう。日本語ではセイヨウトウキ(西洋当帰)のこと。当帰といえば、漢方ではおなじみの生薬で、中国語風にはdong quaiという。アンゼリカはハーブティーとして生活の木とかに普通に売っているし、サプリとしても買える。

認知症という病気は、癌と似た怖さがある。
癌は、段々と腫瘍が増殖して肉体をむしばみ、やがて死に至るようなイメージだろう。認知症は、肉体は侵さないが、心を侵す。その人をその人たらしめている記憶や精神が、次第にむしばまれていき、やがてすべてがわからなくなる。愛する人が癌になり、その肉体が死ぬのも悲しいが、認知症になり、その人の精神が死ぬことにもまた、別種の悲しさがある。
しかし、癌であれ認知症であれ、なす術がまったくないわけではないんだ。むしろ、全快が望める場合だってある。
くれぐれも「癌には抗癌剤」「認知症には抗認知症薬」という思い込みにとらわれないようにしよう。