深夜に部屋で一人、電気を消して布団に入り、ユーチューブのホラー系動画を見ている。
怖くなければ「全然おもんないな」と吐き捨てるくせに、ときどきマジで怖いやつがあって、そういうときは一人でトイレに行くのもきつくなる^^;

そう、ときどき本当に怖いやつがある。ああいうときに体の内側から立ち上がってくる恐怖感って、何なんだろう。
一人でいるはずの部屋に、誰かもう一人いるような、何かの気配がする。でも後ろを振り返るのが怖い。その「何か」を認識してしまったら、、、

こういうとき、その予感は正しくて、「本当に幽霊がいる」とするのがニーチェの立場である。
つまり、「君が深淵をのぞくとき、深淵もまた君をのぞいているのだ」(…when you gaze long into the abyss, the abyss gazes also into you…)

『医師が語る霊障』(橋本和哉 著)を読んで、この感覚が何なのか、一応の説明がつくように思った。
百物語、という日本伝統の怪談スタイルがある。複数人が寄り集まって、各人が怪談を披露していき、全部で百個の怪談をすべて語り終えたときに、本当に奇妙な現象が起きる、とされる。
橋本氏の考えによれば、これは当然起こり得ることである。
夏場などに怪談イベントなどが行われると、そこには意識体やゴーストが集まりやすくなる。人々がゴーストに意識を向けることによって、共鳴が起こるためである。
「意識が、引き寄せる」のである。これは波動という言葉で説明してもいい。
多くの人は、「現象が意識を作る」と思っている。なるほど、確かにそういう場合もあるだろう。
しかし、同じ頻度で「意識が現象を作る」のだということに、多くの人は気付いていない。中にはこの考え方を非科学的だとしてあざ笑う人さえいる。
笑いたい人には、笑わせておけばいい。ただ、事実として「意識することで、引き寄せてしまう」。
このことは、普段からゴーストを意識して生活していると、さらにゴーストを呼び込んで、下手をすれば憑依されることをも意味する。
ホラー系動画を見ているときの僕は、”そういう波動”にチューニングが合っているせいで、本当に変なものを呼んでいるわけだ。

ゴーストは、天界に成仏できず、行き場なくこの世をさまよっている。そういうゴーストにとって、ある種の波動は”助けの灯り”のように見える。
蛾が光に引き寄せられるように、ゴーストはそういう波動の持ち主のもとへ向かう。尤も、多くの場合、実害はない。守護霊がすぐ追い払ってくれるから。
しかし、ときには憑依を受け、現実的な症状として出現することになる。

事実かそうでないかは別として、考え方としてはおもしろい。
引き寄せとか波動という現象は、僕もないわけではないと思う。
人生という荒海を渡っていくときに「意識が現象を作るのだ」という認識でいたほうが、人生に対して受け身ではなくて能動的になれると思う。
霊的現象もこの引き寄せや波動の考え方で説明がつく、というところに、新味を感じるんだな。

橋本先生のクリニックは、一応標榜している科としては、内科、外科、神経内科、整形外科だけど、明らかに「心霊科」とでも呼ぶべき診療を行っていると思う^^;
病気治療のために、マジで除霊をやってくれる先生なんて、他にいないでしょ?しかも本当にそれで治る症例があるのだから、おもしろい。
この本を読んで、不明熱とか倦怠感の鑑別に、霊障、というのを挙げないといけないと思った^^

もちろん、本の真偽は分からない。ただ、こんなぶっ飛んだ内容の本は、他にない。
霊障に効能のある良質食品として、
ぬちまーす(塩)、ショウガ、銀河高原ビール(飲んだことあるけど、そんな効用があったとは!^^)、魔王(焼酎。森伊蔵と村尾と合わせて3Mって言うんだね)が挙げられていたり、
霊障に対する防御として、
アイヌ帯、ジン(タンカレー)、シーサー(沖縄の獅子舞みたいな置物)、漢方薬(桂枝加竜骨牡蛎湯、半夏厚朴湯。別にツムラのでいいんだね^^;)が挙げられている。
先生が地道に、手探りで効果のあるものを探している感じがよく伝わってきて、おもしろいと思った。
アイヌ帯は確かに、僕も不思議な力を感じる。
岡本太郎が、縄文土器の造形や模様に呪術的なものを感じてインスピレーションを得たというけど(確かに、太陽の塔とか、縄文っぽい雰囲気がある)、アイヌの模様にも何かそういうパワーを感じる。

さらに興味深い指摘として、本からマイナスエネルギーを受けることもあるという。
「文字(およびその組み合わせからなる文章)とは、デジタルな記号である」と思っている僕にとっては、まったく異質な考え方である。
異質ではあるけれど、わからなくはない。
「すべて読書とは、著者との対話である」という言葉がある。著者にマイナスの気が宿っていた場合、その読者にも好ましくない影響が出るということは、当然あり得るだろう、という気もする。
翻って、僕のブログはどうなんだろう?
波動とか気とか、”そっち系”の目線で見たとき、僕の文章にはどのようなエネルギーが宿っているのだろうか?
僕の訳書『オーソモレキュラー医学入門』も含め、僕の情報発信にはプラスの気がこもっていると信じたいのだけど、こればっかりは祈るしかありません^^;