手札がすでにペアで、フロップが3枚出た時点でスリーカードができたから、まぁいけるだろうと思って、ちょっとずつ賭け金を釣り上げた。大きく張っては相手が警戒して降りてしまうから、様子をさぐりつつ。
コミュニティカード内でキングのペアができて、手元のカードと合わせてフルハウスに昇格した。
右隣のプレイヤーがキングのスリーカードができてて、確かにこれならオールインしてでも突っ張りたくなる気持ちはわかる。
しかし結果、2人のオールインを引き出し、それをしかも高い役で撃退して、僕の勝ち。
ポーカーでこんなに気持ちのいい勝ち方って、なかなかない。

でも、何か複雑なんだよね。
バックギャモンもそうだけど、サイコロ投げたりカードめくったり、ああいう運否天賦の要素が大きいゲームって、変な話、「本当に僕が勝ったのかな」という気がする。
もちろん、ゲームをしているとき、僕はプレイヤーであり、状況判断をしながら最適な(と思われる)プレーを選択している。判断の主体は、確かに僕だ。
そのはずなんだけど、たとえ勝ったとしても、「僕が勝った」というよりは、「結局はツキやんか」という虚しさが拭えないんだな。
それに比べて、将棋で勝ったときの、あの純然たる喜び。確率の要素が大きいほど、勝ちの喜びが曇っていくように感じる。

リアルのお金が動いていないから、というのが理由ではないよ。
賭け金の有無にかかわらず、ゲームをする限り、「勝ちたい」と思ってプレーしている。
サイコロを振るときの「ここで5出ろ!5出ろ!」とか、カードが配られるときの「エース来い!頼む!」とか、内心熱くなっている。
この熱こそがギャンブルの核心で、この熱を感じないようではギャンブルは何もおもしろくないだろう。
負ければ当然不愉快だが、しかし勝ったとして、その勝ちが、胸の内の強い熱、強い期待によって招き寄せられたものだと思うと、僕は、何か、怖いんだ。

僕の言っている意味がわかりますか?
わからない人にはわからないと思うし、そういう人の「わからなさ」もわかる。
「完全に確率の話だろう?ネット対局のバックギャモンもポーカーも、結局、乱数発生のプログラムを使っている。熱とか期待とか、そういうのは人間の勝手な意味づけであり、幻想にすぎない。
熱を込めようが期待しようが、『サイコロをふって1の目が出る確率は6分の1』こういう確率法則は揺るがない。それを君は、怖いだなんて、言っている意味がわからないな」

そう、僕自身、こんな感情は不合理だとわかっている。
わかっていても、やっぱり、怖い。
それは結局のところ、僕が、『祈り』とか『思い』(あるいは『呪い』などのネガティブなものも含めて)みたいな、精神的な力を信じているせいかもしれない。
「ポーカーに勝ったとして、それが、僕の『思い』が通じて勝ったかと思うと、何だかたまらない。こんな、たかがポーカーごときで」
心のどこかにこういう思いがあるのだと思う。勝ちを単純に喜べないのは、そのせいかもしれない。

人間の思念が確率的現象に及ぼす影響については、すでに多くの研究がある。
もともとはテレパシーの研究から派生して、精神的遠隔操作(たとえば「サイコロで願った目を出し続けることが可能であるか」)の可能性が研究されるようになった。
デューク大学のライン(Joseph Rhine)は、サイコロの転がし方の影響を完全に排した状態にして、54人の学生にサイコロを多数回ふらせる実験を行った。
その結果、ラインは「サイコロの出目には精神的な影響が加わる」と結論した。

こういう研究は、ひとつだけでは説得力がない。そこで、複数の研究を検証したメタ分析を紹介しよう。
『意識がサイコロの出目に及ぼす影響について~メタ分析』
http://deanradin.com/evidence/Radin1991DiceMA.pdf
「この論文は、意識(特に精神的な意図)がサイコロの出目に影響を及ぼすか否かを検証した実験のメタ分析である。1935年~1987年に出版された73本の報告を対象としたが、この研究では特に、合計52人の研究者による148の論文(被験者の総計は2569人、サイコロをふった総回数は2百万回以上)を分析した。」
その結果、わかったことは、
ある種の思念(たとえば「6出ろ!」とか)を持った試行は、出目に対して有意に影響している。「偶然」を平均0とする正規分布を考えれば、なんと、2.6σも離れている。統計学を勉強したことのある人なら、これがいかに飛びぬけた値であるかがわかるだろう。
要するに「念ずることで、サイコロの目は影響を受ける」ということが、科学的に証明された形になったわけだ。
そこらへんの三流大学の教授が売名のために書いた論文ではない。ノーベル賞を68人、フィールズ賞を15人出してる天下のプリンストン大学の研究者が、これまでに出た論文を詳細にメタ解析した結果、こういう結論が出たんだ。
それ相応の重みを持って受け止めるべきだろう。

とまぁ、上記のように「公平であるべき確率的現象に精神の力が何らかの影響を及ぼす」ということには、科学的なエビデンスがある。
かといって、「科学的エビデンスがあるから、何かを強く念じることが怖い」というわけではもちろんない。
そもそも恐れという感情は、本能的で、デタラメで、不合理で、無根拠なものだ。
しかし、何かを強く念ずることの、一体何が恐ろしいのだろう。
うまく表現できるかな、自信はないけど、次もう一回だけ、この手の話が続きます。