神戸で暮らしている人にとって「しんだい」は当然神戸大学であり、それ以外の可能性なんて考えもしない。だから長野県の「しんだい」の学生になった当初は、ちょっとした違和感を持ったものだ。すぐ慣れたけどね。
同じ響きの言葉が、新潟在住の人にとっては新潟大学だし、神奈川在住の人にとっては神奈川大学ということになる。価値観の相対性を知る上でも県外生活は経験しておくべきだな。【追記】神奈川大学の略称は「しんだい」ではなく「じんだい」だと指摘を受けましたm(._.)m
神戸大学医学部出身であるということは、神戸近辺の病院では十分なネームバリューを持つ。患者のなかには医者の出身大学にこだわる人もいて、それなりの威光を放つ。
学生時代、夏休みに実家に帰省中、塾講師の短期バイトをしたことがある。そこで中学生の塾生にどこの大学に行っているのか聞かれて、「しんだい」と答えた。「おー、すごい」と尊敬の目で見られた。バイトの最終日に「実は、しんだいはしんだいでも、信州大学だけどね」というと、「うそつき!」と本気でののしられた。嘘ついた僕も悪いけど(必ずしも嘘じゃないけど)、その本気さは信州大学に対して失礼ちゃうかな^^;

神戸大学医学部が全国的にどのような位置づけにあるのか、よく知らない。ノーベル賞受賞者を一人輩出した実績があるが、客観的に見れば、それほど歴史があるわけでもない。旧帝大ではないし、あくまで戦後に新設された国立大学のひとつだ。
だから、1959年岡本彰祐が慶応大学医学部から当時の神戸医科大学に赴任することになったときは、ほとんど「都落ち」の感覚だったと思う。しかし弘法が筆を選ばないように、一流研究者は場所を選ばずとも成果をあげる。現在でも臨床でバンバン使われているε-アミノカプロン酸、トラネキサム酸、アルガトロバンを次々に開発し、血液学の世界をリードし、ついにはノーベル賞の候補にもあげられるまでになった。

1960年慶応大学生理学教室の医員だった美原恒は、医局から神戸大学への赴任を命ぜられた。ここで岡本に師事し、線溶酵素の研究に没頭することになったが、その研究成果が花開くのは20年以上経ってからのことである。
1974年新設の宮崎医科大学に教授として赴任した美原は、赴任早々、大学から畜産廃棄物処理を担当するよう依頼された。新設だけあって、教授にもいろいろな雑用がまわってくる。畜産廃棄物処理、といえばそれらしく聞こえるが、要するに、糞の処理である。しかも、時代は第一次オイルショックの頃で、廃棄物を燃やす重油代もろくに出ないという。大学当局は「予算のないところで何とか工夫して対処法を考えるのが研究者でしょうが」といわんばかりの様子だった。普通の医者なら、ここでキレる。「なめやがって。俺にクソの処理させようってのか。こんな田舎まで呼んどいて」と、神戸にまた戻ってきたことだろう。
しかし、美原は根っからの研究者だった。与えられた状況で、いかにして課題に対するベストな対応策を打ち出せるか。美原はそこにやりがいを見出し、畜糞の処理法に知恵を絞った。
ちょっとした思いつきで、赤ミミズ(ルンブリクス・ルベルス)に畜糞を食わせたところ、牛糞、豚糞なら2週間で、鶏糞なら4週間で跡形もなく糞が消えることを発見した。しかもこのミミズが産出する糞土は園芸用の肥料となり、この糞土には悪臭除去効果もあった。
この発見は、単に宮崎医大の予算削減に大幅に貢献しただけではなく、畜産廃棄物の清浄な処理という環境科学の分野での偉大な達成でもあった。
さらにミミズを研究していた美原は、あることに気付いた。乾燥して死んだミミズは黒く変色して干物のようになるが、湿り気のあるところで死ぬと跡形もなく溶けるのである。線溶作用の研究者である美原の心に、ふと閃くものがあった。これは、何らかのタンパク分解酵素の働きに違いない、と。

シャーレのなかにフィブリノーゲンを入れて、そこにトロンビンを加えるとフィブリンができる。いわば、人工の血栓である。ここに検体を滴下して、フィブリンが溶けるかどうかを調べる。溶解した面積が大きいほど、その検体の線溶活性が強いわけだ。この実験で、美原はミミズから抽出した酵素に強いフィブリン溶解作用があることを発見した。この線溶活性酵素の分子量、至適pH、至適温度、生体内での働きなど、様々な研究を重ね、ルンブロキナーゼと名付けた。
当時、線溶活性を亢進する薬剤として、欧米ではストレプトキナーゼが、日本ではウロキナーゼが用いられていた。しかし前者は連鎖球菌から抽出した酵素で、人によってはアナフィラキシーショックを起こしてしまうし、後者は人の尿からごくわずかに抽出される酵素であるため非常に高額であるという欠点があった。
しかしルンブロキナーゼは、ウロキナーゼよりも効果が強く(効き始めるのにウロキナーゼは10時間前後、ルンブロキナーゼは4時間ほど)、はるかに安価で(ウロキナーゼ20万単位は原価20万円、ルンブロキナーゼ1gは市価800円)、服用が安易だった(ウロキナーゼは静脈内投与、ルンブロキナーゼは経口投与)。しかもルンブロキナーゼは、ウロキナーゼに強く見られる出血傾向を、ほとんど起こさない。
つまり、ルンブロキナーゼは、効果、価格、安全性の点で、ウロキナーゼよりもはるかに優れた薬であることを、美原は証明したのだった。

『ミミズを用いる伝統的東洋医学から発見された新しい血栓溶解治療』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/1298986
7人の健康な被験者(28~52歳)に120㎎のミミズ抽出物を毎食後(1日3回)経口にて17日間服用させた。投与開始後1,2,3,8,11,17日目に採血を行った。検査項目は、フィブリン分解産物(FDP)、組織プラスミノーゲンアクチベーター(t-PA)抗原の血中濃度およびt-PA活性を測定した。投与前にt-PA抗原の血中濃度は5.6 +/- 0.38 ng/mlだったが、17日目まで徐々に増加した。
FDPは投与後1,2日目には上昇したが、その後17日目までに減少し、正常に戻った。実験期間中、フィブリン溶解活性も増加傾向にあった。これらの結果は、ミミズ抽出物が経口の血栓溶解薬として有用であることを示している。

この研究で注目したいのは、被験者が皆健常者で、そういう健康な被験者にルンブロキナーゼを飲ませても、FDP(血栓が溶けた残りカス)が上がっているということだ。
健康な人でさえ、25歳を過ぎれば体のあちこちに微小血栓があって、それが内臓などの各器官の微小血流系にフィブリンが溜まり始めている、ということをこの研究は示している。
次回は具体的にどのような症状に効くのかについて、書いていこう。

参考:『ミミズ酵素のちから』(美原恒著)