統合失調症か、じゃ、どういうタイプなんだろう、分類しよう、妄想型か、破瓜型か、緊張型か、残遺型か、単純型か、どれだろうか。いや、そもそもこの人は本当に統合失調症だろうか、統合失調症ではなく統合失調症感情障害ではないだろうか。となると、この分類としては、統合失調症感情障害のうつ病型か混合型か、どちらかを見極めねばならない。いや、この類型に当てはまらない「その他の統合失調症感情障害」というのもあるぞ。いや、統合失調症感情障害ではなく、躁病あるいは双極性障害ではないか。うーむ、悩ましい、、、

という考察を大真面目にやっているのが精神科診療の現場なわけです。
仮にこれだけ詳しく分類したところで、治療は同じ。「ジプレキサ5mg」とかだったりする。
もうね、バカじゃないかと思う。理屈バカ。
精神科現場には、こういう、ほとんど意味のない分類や分析が無数にある。
僕ら、学生のときには、こういう分類を必死に頭に詰め込んで、試験に備えるわけです。
ブロイラーやシュナイダーなど、百年前のカビの生えたような理論を、いまだに真実と思い込んで、せっせと記憶に励む。精神疾患と栄養の関係についてはまったく教わることもなく。こうして、この21世紀にもバカが量産されていきます。
「この患者には、思考化声、妄想知覚、作為体験など、シュナイダーの一級症状があることから、統合失調症の症状として矛盾しません」
なんて語る精神科医のセリフを部外者の人が聞くと、高度な知識を備えた専門家、といった印象を受けるかもしれないけど、違います。
アホです。ただのアホですからね。
彼らは精神疾患を治せません。
薬で症状を抑え込んだだけ。くさいものにフタをしただけなんです。問題の根本は全然解決してないから、症状はやがてまた再発します。
でも彼ら、自分の無力を認めたくない。自分の行為を正当化する理屈がいる。だから、理論武装する。
現場の良心的な先生のなかには、投薬治療の限界にうすうす気付いている人もいるとは思う。でも、だからといって、他にどうしようもない。
もう自分の医療を信じて突っ走るしかない。そのためには、やはり理論がいる。
ドーパミン仮説とかセロトニン仮説とか、とっくに破綻してるんだけどね。

患者の母が語る。
「この子、高校生のときに発症して以後、何度も入退院を繰り返してきました。薬を増量すると、幻覚や妄想はなくなります。でも無気力になって、何をする気もなくなります。
仕事をすることはもちろん、本を読むこともできない。テレビを見ても、何をしてもおもしろくない。感情がなくなったみたいになります。
幻覚や妄想にとらわれているこの子を見るのもつらいけど、家で一日中ぼんやりしているこの子を見るのも、同じくらいつらいです。
本当はこんな子じゃないんです。もっとよく笑う、活動的な子なんです。読書好きで、勉強もよくできる子でした。それが、精神科に通うようになってから、こんなことになって。
一緒にいて、何だか怖いんです。そばにいるこの子が、我が子であって我が子でないような感じがして」

そう、抗精神病薬は『化学的拘束衣』だ。実際物理的に拘束するわけじゃないけれど、薬の作用が『心』をがっちり拘束する。
人間でありながら、人間ではないような状態になる。かつて政治犯に大量の抗精神病薬が投与され、『生きる屍』にされた。
抗精神病薬の長期投与によってそうなることは、とっくの昔にわかっている。
陰性症状などという都合のいい言葉をでっちあげ、まるでその無気力は統合失調症の症状であるかのように装っているが、とんでもない。薬の作用そのものだよ。

「できれば薬はやめたいんです。
でも薬をやめれば、また幻覚状態になって、おかしなことを言いだすかもしれません。先生、何とかならないでしょうか」

急にやめることはしない。
長く薬に頼ってきた人には、慎重に減薬する。
まず、ビタミンの摂取を開始してもらう。たとえば以下のようなものだ。
ナイアシン 1000mg(毎食後)
ビタミンC 2000㎎(毎食後)
ビタミンB群(毎食後)
亜鉛 50mg(朝食後)
ビタミンD 5000IU(朝食後)
マグネシウム 200㎎(朝、昼食後)
セレン 200μg(朝食後)
亜麻仁油 大さじ1杯(毎食後)
EPA、DHA、ALA (毎食後)

ナイアシンはもっと増やしてもいい。統合失調症患者では、ナイアシンによって本来起こるはずのホットフラッシュが出ない人も多い。
ビタミンCももっと増やしてもいい。ビタミンCは過剰摂取で下痢が起こるけど、下痢をする手前ぐらいの最大量まで行ってもいい。
B群だけではなく、必要に応じて、B6や葉酸を追加してもいい。
その他、食事指導として、糖質の摂取は控えめにし、乳製品、精白したパンの摂取も控えてもらう。
忠実に実行すれば、数日で改善を実感するはずだ。

1か月後、患者とその母が来院した。
前回、患者本人はほとんど話さず、母ばかりがしゃべったが、母と子の立場が逆転していた。
患者本人が笑顔混じりに語る。
「調子いいです。本が読めるようになりました。
だんだん意欲が出てきて、外を散歩したりできるようになりました。こんないい気分は、ここ数年ありませんでした」
改善の兆し。
これで少し、減薬できる。調子はますますよくなるだろう。
しかしあせらない。慎重な減薬が基本だ。

統合失調症が治る、というのは、風邪が治る、というのとはかなり意味が違う。
この人は、今、人生を取り戻しつつあるのだ。
危うく『生きる屍』として生きるかもしれなかったところ、新たな人生に歩みだそうとしている。
そういう人生に踏み出すことをサポートできたことが、僕は、医者として、たまらなくうれしい。
「医者が患者を治す、のではない。医者ができることは、あくまで患者の治癒をサポートすることだけだ。傲慢になってはいけないよ」とホッファー先生がいう。
その通りだと思う。だから、僕もそう思うことにしている。
でも正直、僕の本音としては、回復した患者が誇らしくて、僕の『作品』だって言っちゃいたいぐらいなんだな。