あるとき、患者から「発酵食品が必ずしもよくない、場合によってはむしろ有害だって聞いて、納豆は食べないようになりました。もともとそんなに好きでもなかったから、仮に一生食べられなくなったとしても、別に構わないですけどね」
へー、それはどこで聞かれましたか?
尋ねると、ソースを教えてくれた。その本を取り寄せて、読んでみた。
『「おなかのカビ」が病気の原因だった ~日本人の腸はカビだらけ』(内山葉子著)
著者の主張を簡単にまとめると、慢性的な不調(便秘、下痢、腹痛、皮膚トラブル、頭痛、関節痛、抑うつ、生理前の不調、倦怠感、食後の眠気、甘いもの欲求など)は、すべて「おなかのカビ」つまり、腸の状態が悪化していることに起因している。その原因は三つあって、抗生剤の乱用、発酵食品の摂りすぎ、日本の気候と住居、である。

いい本だと思った。素直に、「なるほど」とうなずける本だった。
患者は納豆をすっかりやめてしまったというが、別に著者は発酵食品を全否定しているわけではない。人によっては「おなかのカビ」の増殖を促進してしまう、と指摘しているだけだ。適量(あるいは少量)摂取する分には、特に問題はないだろう。
小麦や牛乳をやめ、カビの生じやすいトウモロコシ、麦、ナッツ類は控えめにすること。
逆に、カビの抑制に有効なものとして、ローズマリー、オリーブリーフ、リンゴ酢、梅干し、重曹、活性炭などが挙げてあって、参考になった。
「おなかのカビ」という表現は医学的にはまったく不正確で、研修医が頭の固い指導医の前でこんな言葉を使えば「もう一回医学部1年からやり直してこい」と言われてもおかしくない^^;しかし、感覚的にはとてもわかりやすくて、一般ウケする表現だと思う。

いわゆる「カビ」は、カテゴリーとしては真菌のことだ。真菌には、酵母やキノコも含まれる。
「真菌と細菌、どちらも「菌」なんだから同じようなもんだろう」、と思われるかもしれないけど、分類的にはまったくの別物だ。
最大の違いは、核膜の有無。細菌は原始的で、遺伝情報を乗せた染色体DNAが細胞内にむき出しで存在するのに対して、真菌には染色体を包む核膜がある。この点で、真菌は人間と同じ真核生物だ。
だからこそ、抗生剤が問題になる。
抗生剤といえば、普通、「抗細菌剤」のことである。つまり、抗生剤の服用によって腸内細菌を含む全身の細菌叢が大ダメージを受けるが、真菌はまったくの無傷、ということになる。
様々な菌種が協調したり拮抗したりしているのが僕らの腸である。そこで、抗生剤によって腸内細菌が死に絶えると、抗生剤の効かない真菌の天下、という状況になる。
有名なのはCandida albicansである。これは本来、日和見菌(特に善玉でも悪玉でもなく、状況次第でどちらにもなり得る菌種)で、消化管、体表、女性の膣粘膜に普通に生息しているが、抗生剤の投与などによりバランスが崩れると、一気に増殖して、病原性を持つ。

一般の人が、カンジダ菌と聞いて思い浮かぶのは性感染症のほうの膣カンジダだろう。
しかしカンジダが存在するのは膣に限らず、おなかのなかにも肌にもいるし、そもそもカンジダ菌自体が病原菌であるというよりは、カンジダ菌に病原性を持たせてしまう習慣(乱れた食事、抗生剤の使用など)こそ、本当の問題なんだ。
もっと言えば、カンジダは食文化と切っても切り離せないものだ。
Candida etchellsiiやCandida versatilisなどは味噌や醤油の発酵に関係しているし、Candida stellataはワインの醸造に関係している。
日本酒はCandidaではなくて、Aspergillus(アスペルギルス)属のコウジカビの発酵を利用したものだが、両者とも真菌だ。

有名な造り酒屋の一人娘が、男と恋仲になり、結婚することになった。しかし娘の父は、その男の職業を知るやいなや、結婚に断固として反対した。なぜだと思いますか?
その男の仕事が納豆屋だったから、というのが答えです。
実話かフィクションかは知らない。ただ、話としてはおもしろい。
そう、納豆菌は酵母菌の大敵で、酵母の菌種のなかに混入すると、製品が全部だめになってしまうどころか、酒蔵自体、もうアウトかもしれない。
だから、どこの酒蔵も納豆に対しては大変な神経を使う。愛する娘の結婚となれば、父としてはうれしいが、納豆屋のせがれとの結婚となれば、酒屋家業が傾きかねない。父が反対するのはもっともなことだったのだ。

酒蔵見学に際しては、納豆を食べて行かない、というのが絶対のマナーだ。

1979年と古いけど、こういう研究がある。
『納豆菌(Bacillus natto)と大便連鎖球菌(Streptococcus faecalis)がカンジダ(Candida albicans)の成長に及ぼす拮抗作用』
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/119897
「納豆菌と大便連鎖球菌にカンジダの成長を抑制する作用があるかどうかを調べた。納豆菌(Bacillus natto系)を長期間培養した濾液にカンジダ(C. albicans RIMD 0301020)の保存株を植え付けたところ、カンジダの生存能力が完全に失われた。一方、臨床現場で採取した別種のカンジダ(C. albicans RIMD 0301011)ではそうした現象は起こらなかった。
静置ではなく、循環液の流れのなかで納豆菌と混合培養すると、どちらのカンジダも成長が抑制された。
バッチで培養すると、納豆菌はカンジダの成長を抑制しなかった。多剤耐性の大便連鎖球菌BIO-4Rもカンジダ(C. albicans RIMD 0301011)の成長を抑制したが、循環液の流れのなかで培養すると納豆菌と共存した。
これらの発見は、ヒトの腸管内において納豆菌は大便連鎖球菌BIO-4Rと協調して、カンジダの成長を抑制している可能性を示唆するものである」

納豆菌は100度で煮沸しても死なず、真空においても死なず、胃酸によっても死なず腸まで届く。
むちゃくちゃにタフな細菌だから、味方につければこれほ心強い細菌はいないよ。
しかし酒屋の杜氏としては敵視せざるを得ないから、納豆は一生口にしないって決めてる杜氏さんも多いという。
日本酒も納豆も同じ日本の食文化だけど、こんなにも「水と油」なんだねぇ。