研修医は何でもやらされる。
内科志望と決めていても、外科はもちろん、麻酔科、救急、地域医療など、将来的に無関係の科も研修で回ることになる。
今思えば、これはけっこうよかった。
他科の雰囲気に触れる最後の機会じゃないかな。

外科を回ったときには、基本的にはメッサーの鈎持ちだけ。術野をしっかり広げるサポート役。
オペの最後、閉腹のときに表皮の縫合をやらせてくれたりするから、事前に糸結びの練習をしておく。
男結び、女結び、外科結びとかいろいろあって、ああいう純粋に技術的なことって好きだな。
外科のローテが終われば、そんな特殊な技術は今後の人生でもう二度と使うことはない。
それでも、外科医の初歩の初歩、入り口部分に触れたことは、けっこう記憶に残る。
あるオーベンが言ってた。「外科に来ると決めてる奴は、むしろある程度放置でいい。勝手に学びよるやろ。
ローテだからと仕方なく外科に来てるような研修医な、俺はそういう奴こそしっかり鍛えたい。
だって研修が二か月なら、その二か月がそいつのなかでの外科のイメージを作るわけだから。だから俺は手は抜かない」
こういう熱い(めんどくさい^^;)男がいるのも、外科ならでは、という感じがする。

小児科で、ある指導医の診察を後ろから見ていた。
泣く子供をあやしたり、子供と同じ目線に立って子供の言葉で話しかけたりする。かと思えば、お母さん相手には毅然とした医者の言葉で話したり。
小児科医というのは、ちょっとした役者でないと務まらないな。
対面に座るのは子供(および付き添いのお母さん)ばかりだったところ、ふと、60代ぐらいの女性が一人で訪れた。
「健太郎君、その後、お変わりないですか」
「はい、特に変わりません」
「では、いつも通りのお薬を出しておきますね」
双方とも、勝手知ったる、という感じで、診察はすぐに終わった。
女性が診察室を出て行ってから、「どういう患者なんですか」と指導医に尋ねた。
「臍帯巻絡って知ってる?赤ちゃんがおなかのなかにいるときに、へその緒が赤ちゃんの首に巻き付いてしまって、窒息状態になってしまうという。
健太郎君は仮死状態で生まれてきた。一命はとりとめたものの、脳性麻痺の後遺症が残った。その後三十年、ほとんど寝たきり。
子供のときからずっとうちでフォローしてるから、今のこの小児科に定期的に薬をもらいに来てるんだね」
「寝たきりの子供を、三十年間ずっと世話し続けているわけですか?食事の世話からシモの世話まで、ろくに動けない子供の世話をずっと?」
「うん、そういうことだね」

地域医療の一環で、患者の自宅に直接出向く往診を経験した。
11歳男児。8歳時に交通事故で意識不明となり、以後、脳死状態になった。
人工呼吸器と経管栄養がこの少年の命綱であり、その管理は母親が自宅で行っている。
この母親の子供への献身ぶりに、僕は圧倒された。
この少年は、一切身動きできず、会話もできない。それどころか、意識さえない。
そういう子供に対して、母はまったく健常であるかのようにふるまった。
普通に話しかけるのはもちろん、車いすに乗せてあちこちに連れていく。
『車いす社交ダンス』というのがあって、そのサークルにも所属しており、ダンスをさせる。
なんと、いまだに学校にも在籍している。そして作文や絵画などの宿題もこなしている。
母親が少年になりかわり、「きっとこの子は、こういう作文を、こういう絵を、かくだろう」という思いで、代作をして提出している。
左利きだった我が子を模して、母はその作文や絵を、不慣れな左手でかく。
子供の体調の変化は、医者よりもよく観察している。
主治医が指示した経管栄養の量を、母は多すぎると思い、独断で投与量を減らした。すると少年の全身のむくみが軽減し、顔が引き締まった。
理学療法士にリハビリを依頼し、床ずれなど起こさないよう、細心の注意をしている。
その甲斐あってか、3年寝たきりであるにもかかわらず、拘縮ひとつない。
主治医も苦笑いするしかない。「僕よりもお母さんのほうが医者らしいよ」と。
「この子は全部わかってると思います」と母親はいう。「ほら、往診の先生や理学療法士の人が来られると、こんな具合に血圧が少し上がるんですよ」
脳死は、回復しない。しかしこの母は、希望をまったく捨てていない。
話を聞いているうちに、僕はたまらない気持ちになった。

生まれてから30年間ずっと寝たきりの子供や、事故を境に脳死に陥った子供のために、献身的な世話をする母親たち。
昔テレビで見た、死んだ子猿を決して手放そうとせず、腐乱し始めた遺体をさえ胸に抱いた母猿の姿を思い出す。
母性とは一体何なのか、という思いにとらわてしまう。
一方で、児童虐待のニュースをしょっちゅう目にする。
「新しい彼氏ができて、自分の連れ子が邪魔になり、男と一緒に虐待の末、殺した」
痛ましいニュースだが、この女の気持ちはわかる。享楽的な身勝手な理由であり、許される行為ではないが、心情的には理解できる。
しかし僕が目にした母親たちは、、、回復の見込みのない脳障害の子供のために、すべてを捧げた。そう、文字通り、すべてを捧げた。
三十代ならもう一人子供を作るとかして、なんというか、まだやり直せただろうに、自分の若さを捧げた。
子育てばかりではなく、仕事や趣味、自己実現のために使う時間を持ち得ただろうに、自分の人生を捧げた。
母性の底知れなさは、僕にはほとんど恐ろしいほどだ。

「ふーん、なるほど。
しかしね、君も精神科医を目指すのなら、そういう患者を見て『いい話』で終わらせちゃダメだよ。
そもそも人間に、純粋に利他的な行為があり得るだろうか。
人間の行動は、多くの場合、快楽原則に基づいている。
その行動が『快』ならば、そうする。『不快』であれば、そんな行動はとらない。これが原則だ。
そのお母さんたちの行動だけはこの原則の例外だ、とする理由があるかね」
治癒不能の脳障害児のために自分の人生のすべてを捧げることに、一体どんな『快』があり得るんですか。
「こんなに美しい自己犠牲、こんなに美しい母性の発露が、快楽原則に基づいている、などというと、感情的な反発を招くだろう。
しかし君の話を聞いていて、そのお母さんたち、代理ミュンヒハウゼン症候群に近い精神状態なんじゃないかと思ったんだ。
子供を持つ母親に多いんだけど、我が子をわざと傷つけて、病院を受診したりする人がいる。
子供の症状が重いほど、医者や看護師は母子を気の毒がる。こういうふうに周囲の関心を引き、哀れみなり同情なりを受けることが、そういうお母さんにはたまらなく心地いい。
このような精神状態を、代理ミュンヒハウゼン症候群という。
もちろん、君の話のお母さん方の場合、我が子を意図的に傷つけたのでは決してない。子供の障害はまったく不運なことで、同情を禁じ得ない。
しかし、かといって我々人間は、大きな不幸に対していつまでも打ちひしがれているわけにはいかない。現状を受け入れて、立ち上がり、前を向いて生きて行かないといけない。
どのようにして現状を受け入れ、前向きに生きていくことができるだろうか。散々悩み、考えたと思う。
試行錯誤し、手探りで答えを探しながら、恐らくこのお母さんたちは、『回復の見込みのない子供にけなげに尽くす献身的な母親像』をしっかり演じよう、というところに行き着いた。
ここにある種の快感を見出したのかもしれないし、また、そうするよりほか、現実の受け入れ方がなかったのかもしれない。
脳死の我が子を車いす社交ダンスの会合に連れて行く母親を見て、他の参加者はちょっとしたショックを受けるだろう。
学校にいまだに籍を置いて、宿題を子供に成り代わってまで提出している母親を見れば、クラス担任や同級生らの心にも何かグッとくるものがあるに違いない。
そして、往診に君のような研修医が同行するのを許可している。ある種の『語り部』としての役回りを引き受けようと、腹をくくったんんじゃないかな。
勘違いして欲しくないのは、僕は別にこのお母さんを批判しているわけではない。
ただ、大きな精神的ショックに適応するための防衛機制だったのではないか、と指摘しているだけだ。
不必要に持ち上げるのはどうか、と思うけど、一般の人には、単なる美談でいいだろう。しかし精神科医を目指す君は、それで終わらしちゃいけない。
もう一段掘り下げて、心を解剖しないといけないよ」

結局精神科に入局したものの、薬一辺倒の『治療』がアホらしくなって、すぐやめたんやけどね^^;
でも研修医時代の経験は僕の中でいい思い出になっている。