ユーチューブで、「天皇とかいう国営宗教は廃止すべき」という動画を見た。
ざっと要約すると、
「テレビや新聞などのマスメディアで『様』という敬称をつけて報道される天皇(あるいは皇室)という存在があることは、異常だ。
創価学会の池田大作をニュースで『池田様』と呼べば、誰でも異常だと感じるだろう。しかしメディアにすっかり洗脳されている我々は、天皇についてそれを異常に思うことはない。
創価学会にお布施をする人は同意のもとでやっているが、皇室には毎年200億円の予算が計上されている。
これは、天皇教とでもいうべき、国民全員参加型の国営宗教に他ならないのではないか。
そもそも、天皇はそんなにすごい人なのか?我々が伏して拝むべき偉大な存在なのか?
違う。そこらへんにいる普通のおじいちゃんだ。
我々は、天皇の行いや人間性に敬意を払っているわけではなく、単に天皇という称号にひれ伏しているだけだ。
スティーブ・ジョブズは偉大だ。彼がいなければ、マウス式のウィンドウズやタッチパネルのiPhoneも生まれなかった。しかしNHKで「ジョブズ様」と報道されるか。されるわけがない。特定の個人を『様』付けで呼称する異常さを、みんな認識しているからだ」

このあたりまでが前半。
割とよくある天皇批判で、特に新味はない。
どうでもいいことだけど、マウスの発明者はエンゲルバートで、タッチパネルの発明者は日本人。別にジョブズが作ったわけではない。ただ、ジョブズがいなければウィンドウズやiPhone が生まれなかったという指摘は、その通りだろうな。

後半の主張は、ちょっと新しいと思った。
「天皇制の本当の問題は、皇族という一部の人が不当な好待遇を受けている、ということではない。むしろ、その逆だ。
皇族の人にとって、人権はまるでないがしろにされている。
皇族に生まれれば、生まれてすぐに、マスコミから好奇の視線にさらされる。その行動や言動の一挙手一投足が報道され、プライバシーなんてあったものじゃない。
学校に入れば、高い確率でいじめられる。
普通の人のように、『夢』を語ることさえできない。『天皇になりたい』なんてこと、言えない。そもそも、皇族に主体性はいらない。国民の象徴なのだから、今後のあり方は政府の審議によって決められる。
たとえば、なりたい職業につくために頑張って努力する。そういう努力の場さえ、皇族には与えられていない。
伝統だから我慢しろ、っていうの?
伝統だから、国民の象徴だから、人権がなくても仕方ないじゃないか、って?
人権というのは、そういうものじゃないでしょう。生まれた瞬間から、万人に等しく与えられている。それが人権でしょ。
そのはずなのに、皇族という一部の人たちにだけは、人権が剥奪されている。
21世紀の現代にこんな野蛮が堂々と行われている状況が、一体看過されていいのか」

皇族の人権、という視点はおもしろいと思った。
一昔前の日本人なら、誰しも身分相応という美徳を持っていた。百姓の家に生まれたら自分も百姓で、百姓なりの生活をやっていく。大工に生まれたら大工だし、商人に生まれたら商人。みんな自分の分相応をわきまえていた。でも不幸かというと別にそうでもなくて、それなりに楽しく人生をやっていた。
それが、西洋の価値観が入ってきて、人権なんてものを与えられた。全員皆平等で、職業選択の自由なんてのも与えられた。
封建制の時代に生きていた人を、抑圧のもとで苦しむかわいそうな人だとすれば、西洋の価値観が浸透することは、「解放」ということになるだろう。
個々人に人権があって、世襲とかに縛られず、自分の好きなように生きていける、という価値観は、庶民だけのものではなくて、皇族にも等しく共有されるべきだ。
だから本来、皇族も「解放」されるべきなんだ。たとえば愛子様や悠仁様が、コンビニバイトしたりする自由も認められるべきなんだけど、そんなこと、絶対に許されない。

子供時代って、誰しも未熟なものだ。でも、未熟なりに世間に揉まれて、だんだん人間ができてくる。同級生とケンカしたり、誰かに恋したり失恋したり、勉強で優越感や劣等感を感じたり。心の中で嵐が吹き荒れるような少年時代、青年時代をくぐり抜けて、みんな大人になっていく。
そのはずなんだけど、皇族だけは、その様子を始終監視されている。マスコミが、SPが、その他多くの人々の好奇の視線が、皇族を見つめている。
もっとバカなことを言ったりやったりしたいだろうに、許されない。
未熟であるべき子供時代に、落ち着いた完成形を求められる。たまらんやろうな。
こんな気の毒なことってない。

この動画を作った人は、天皇という国営宗教は廃止すべき、と言っている。
個人的には、賛成しない。
動画前半の、「国民の税金でぜいたくな生活してる」とか「普通のおっさんのくせに、天皇っていう称号だけでチヤホヤされてる」とか、主張としては幼いな。
ただ、動画後半、皇族の人権というテーマは、とても重いと思う。

明治以降、天皇が東京に移って以降、庶民の天皇のイメージは大きく変わった。
政治が天皇の権威を利用して、現人神として変に奉ってしまった、という歴史的な事情もあるだろう。
もう一つ、東京と京都、土地柄の違いもあるんじゃないかな。
平成天皇が新幹線で京都駅に到着したとき、周囲の人だかりのなかから、「天皇さん、お帰り!」という声があがったという。
こんなエピソードは、東京では考えられない。
東京の人は、まず、陛下相手に呼びかけないし、ましてや「天皇さん」なんて、そんな呼びかけはあり得ない。頭の固い人は、「不敬だ!」なんて言いそうだ。
現在の皇居はもともと江戸城で、いわば要塞だった。一方、かつて天皇の住んでいた京都御所は、壁も低くて、庶民との距離感は近い。
敬して遠ざけるような冷たさがある東京と違って、さすが千年天皇のお膝元だった古都だけに、天皇、庶民、双方に近しさがあるようだ。
天皇が東京に移らずにずっと京都にいたなら、皇族を『様』付けで呼ぶような今の妙な習慣は生まれず、もっと庶民に親しみのある存在だったんじゃないかな。