自然療法研究家の東城百合子先生が亡くなられたという。
【訃報】東城百合子先生逝去のお知らせ
https://www.kokusai-yoga.net/article.php/20200226071929981
享年94歳。
どういった原因で亡くなられたのかは分からないが、病院ではなくご自宅で息を引き取られたというところが、東城さんらしい感じがする。
ネットを検索すると、91歳の頃にはまだ自然食の講師として教壇に立って授業をしたり料理を教えたりしていたという記事があるから、きっと死の直前まで元気だったんじゃないかな。
著書『家庭でできる自然療法』は昭和53年の初版以来、宣伝なしで100万部以上を売り上げた。今後も読み継がれていくに違いない。

何を隠そう、実は僕もこの本のおかげで健康を取り戻した一人だ。
医学部の学生時代、ポリクリ(臨床実習)の前にB型肝炎のワクチンを打ち(半ば強制的で、逃れようがなかった)、以来、何かと体調不良(関節のだるさ、全身の倦怠感など)を感じるようになった。
この本に、砂療法(砂浴)という健康法が紹介されていた。
僕の実家は明石で一応砂浜があるし、鳥取で勤務医をしていた頃は、有名な鳥取砂丘ばかりではなく、きれいな砂浜がたくさんあった。
本で得た知識をもとに、ときどき機会を見つけては砂浜に行って砂に埋まり、デトックスに努めた。何度か行くうちに、すっかり症状が消えた。

本の中で、食養の重要性も説いておられた。
現代(といっても40年以上前だが)の畜肉や農薬、加工食品の危険性をすでに警告しておられ、食べ物を通じて入ってくる毒物に気を付けるよう、呼びかけていた。
逆に、季節折々の食材(野菜、雑穀、魚、海草など)を積極的に摂るよう、勧めている。
昨今流行の『高タンパク低糖質』ダイエットをどのような気持ちで見ておられただろうか。
健康を取り戻すのに、果たして高用量のタンパク質(それも肉、卵、魚の積極的摂取だけでは足りず、プロテインやEAAさえ追加して)が本当に必要なのだろうか。
かつての日本人が肉を食べなかったというわけではない。たまに野山で獲れた獣肉を、感謝とともに屠り、頂く、ということはあっただろう。
しかし日本人の食事は基本的に植物ベースで、それで充分健康を保っていた。
東城さんの説く食養生は、日本人の伝統的食性にマッチしていて(「昔の食事に返れ」)、説得力を感じた。
個人的には、この本で一番参考になったのは食養の考え方と砂浴の知識だが、他にも様々な健康法(ビワの葉療法、こんにゃく湿布、ショウガ湿布など)が紹介されている。
僕以外にも、多くの人がこの本によって救われたことだろう。

健康法の提唱者は、なかなか辛い立場である。うっかり風邪ひとつひいても「○○健康法は風邪予防には効果がないんだな。提唱者があのざまなんだもの」などと言われかねない。
何かの重い病気にかかったり、あるいは短命で亡くなってしまっては、その健康法の説得力が減じてしまう。
その健康法の真贋を見分けるひとつの目安として、「提唱者が、90歳を超えてなお心身ともに元気」としてみてはどうか。
この基準でみれば、オーソモレキュラー栄養療法の二大巨頭、ポーリング(1901~1994:93歳没)とホッファー(1919~2009:91歳没)はお見事、クリアしている。
一方、西式・甲田療法で有名な甲田光雄(1924~2008:84歳没)は満たしていない。
尤も、だからといって甲田療法が全然ダメとは思わない。断食や玄米菜食が奏功する人もきっといるだろう。
炭水化物および糖分の摂取を極力控え、タンパク質と脂肪の積極的摂取を勧めるアトキンス・ダイエットの提唱者ロバート・アトキンス(1930~2003:73歳没)先生は、アメリカ人の平均寿命にも満たない年齢で亡くなられた。この食事法は世界中でブームになり、これによって救われた人(特に肥満、心疾患)も無数にいるに違いない。しかし優秀な治療食が、一生毎日続けるべき維持食かといえば、決してそうではない。提唱者の短命さがそのことを裏付けているようにも思われる。
ここで、安保徹(1947~2016:69歳没)先生の名前をあえて挙げるが、安保先生が比較的若くして亡くなられたのは、決して先生の提唱する健康法が間違っていたからではない。

同じような文脈でいうと、最近NHKのドキュメンタリーで『認知症の第一人者が認知症になった』が放送された。
認知症の診断基準「長谷川式認知症検査」は、医者なら知らない人はいない(実臨床でも普通に活用しているし、医師国家試験にもよく出るので^^)
この検査法を提唱した長谷川和夫氏(90歳)が、自身も認知症に罹患したことを公表した。

https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586194/index.html

「誰だっていつかは病に倒れ、死ぬ。遅いか早いかの違いに過ぎない」、と言って言えなくもない。
ただ、ある疾患の大家が、その疾患に罹患してしまうというのは、ご本人にとっても相当プライドに堪えるに違いない。
それを隠さず、あえて公表に踏み切ったところに、この先生のすごさがあると思う。