こんなニュースがあった。
『あの「冬の八甲田・弘前隊ルート」、陸自部隊が3泊4日で224キロ無事踏破』
https://mainichi.jp/articles/20190207/k00/00m/040/284000c

特に何ということのないニュースで、多くの人にとって「ふーん」で終わる記事だろう。しかし、新田次郎著『八甲田山 死の彷徨』を読んだことがある僕には、このニュースに幾らか感慨深いものを感じる。

百年以上前、20世紀初頭の日本にとって、ロシアが攻めてくる可能性は、妄想でも夢幻でもなく、非常にリアルな不安だった。
帝国主義の時代である。強い国が弱い国を飲み込むのは当然のことだった。東南アジアが西洋列強に思いのままに蹂躙されているように、やがて日本も彼らの食い物にされるかもしれない。
不凍港を求めるロシアが、もうすぐ北方から攻めてくることだろう。最悪の場合、北海道がロシアの手に落ちるのはやむを得ない。しかしどこまで踏ん張れる?せめて本州北端、青森で何とか敵勢を抑えたい。
当時の陸軍はそういうシミュレーションのもと、寒冷環境における対ロシア地上戦を想定していた。
そうした訓練の一環として行われたのが、1902年1月の八甲田山雪中行軍だった。
二つの部隊がこの行軍に参加した。一つは、青森歩兵第5連隊(210人)、もう一つは弘前歩兵第31連隊(38人。従軍記者1人含む)である。
ちょうどこの行軍の最中に、記録的な寒波が彼らを襲った。
これにより、青森隊は199人が死亡(うち6人は救助後に死亡)するという、近代登山史における世界最大級の山岳遭難事故となった。
しかし、弘前隊のほうは死者はゼロ、従軍記者含め全員が生還した。
この二つの部隊の明暗を分けたものは何か?
無能なリーダーに率いられた組織の悲劇。甘い想定、貧弱な装備、指揮系統の混乱。
この事故の研究は、一般の人にも有用な多くの教訓を含んでいる。しかしすでに本やインターネットで広く紹介されているため、ここではあえて触れない。
ただ、医師として、医学的に興味深い点にしぼって話をしよう。

青森隊は、またぎ(地元の山のプロ)の案内を断って、地図と方位磁針のみで行軍に向かった。マイナス20度の大寒波によって、方位磁針が凍って使い物にならなくなり、合図のラッパを吹こうにもラッパが唇に凍りついて吹けなくなろうとは、まったくの想定外だった。
火を起こすこともできないため、食事の供給も不可能。眠ると凍傷になるため、眠ることもできない。吹雪になると、視界はほとんどなくなる。不眠不休の絶食状態に、猛烈な寒波が襲いかかり、ついには凍死する者も出始めた。
そうした極限状態で、奇妙な現象が見られた。
寒くてどうしようもない、凍死の一歩寸前の兵隊のなかに、いきなり「暑い!暑い!」と服を脱ぎ、ふんどし一枚になって雪の中に飛び込む者が出始めた。

これは、矛盾脱衣と言われる行動である。
たとえば冬山で遭難した人が、全裸の凍死体で発見されることがある。なぜ衣服を脱いでいるのか。アドレナリンによる幻覚作用とも、体温調節中枢の麻痺による異常代謝とも言われるが、実は医学的には未だ確定的な説はない。
矛盾脱衣は極限状態で見られる行動なので、直接的に観察することは普通できないが、その点、八甲田山の生存者による目撃証言は貴重である。

そもそも、体温は間脳の視床下部で調整されている。通常では37度前後にセットポイントが設定されている。
何らかの原因、たとえばウィルス感染によって、セットポイントが39度に上がったとする。すると、37度の体は、血管収縮により血流を減少させて、体内の熱が外に逃げないようにし、骨格筋を収縮させて震えさせ、熱を産生しようとする。
風邪の引き始めにゾクゾクする寒気がするでしょう?
熱があるのに寒気がする、というのは妙だな、と思ったことはありませんか?
あれは、セットポイント(設定温度)と体温のずれが引き起こしている現象だ。ゾクゾクは発熱を促す生理で、布団にくるまってちゃんと熱が上がって汗をかけば、風邪はもう半分治ったようなものだ。
この考え方で、矛盾脱衣を説明できないか?
異常な寒冷ストレスにより、セットポイントが低下するのかもしれない。たとえばセットポイントが35度に低下すればどうなるか。表皮の血管拡張が起こって、汗を出すなどして、37度の体温を何とか下げて、35度にしようとするだろう。
しかし、マイナス50度の状況下でそんなことが起こればどうなるか。
吹き出た汗は、出たと同時に凍りつき、凍死への道を突き進むことになるはずだ。

寒さに対する反応は人と動物とではかなり違うため、このあたりの知見は動物実験ではなかなか得られない。
下記の論文の要約にあるように、病院の記録、警察の報告書、歴史的事案あたりを参考にして推測するしかない。
https://www.astm.org/DIGITAL_LIBRARY/JOURNALS/FORENSIC/PAGES/JFS10867J.htm
ナチスがダッハウ収容所で寒冷ストレスで人体にどういう影響が出るかの研究を、人を使ってやっていたみたいなんだけど、これは相当な禁じ手だね。
日本でも731部隊がマルタ(人体実験に使われる捕虜)を使った寒冷実験をやっていた。
吉村寿人氏は731部隊の研究者で、戦後も訴追を免れて医学部の教授をしていた。彼の仕事の一つに、以下のような論文がある。要約すると、
「凍傷の応急処置としては従来、凍結部位を摩擦するのが広く諸外国でも採用されており、凍結部位を温めることは固く禁じられている。
しかし私の研究によれば、これは誤りである。凍傷の応急処置法としては、凍結部位を摂氏37度付近(少なくとも30〜45度。50度以上の熱湯は使ってはいけない)の微温湯で融解させるのが最も効果的な方法である。
これにより、全手が壊死に陥るほどのひどい凍傷も壊死を免れ完全に治癒させることができる。逆に、従来の摩擦法では、効果がないわけではないが、壊死を完全に防ぐことはできない」
この論文は、発表された1941年当時、画期的なものだった。
50度以上の熱湯を使えば、指は落ちてしまう。しかし、30度〜45度であれば、完全な治癒に至る。吉村氏は、一体どのようにしてこの発見をなし得たのか。

僕は最近、731部隊に関する文献を読むのにハマっている。
森村誠一の『悪魔の飽食』のような、思いっきり左巻きの人の書いた本も読んだし、東京に行ったときには国立国会図書館に行って、おもしろそうな論文をいくつか読んだりした。
いろんな識者がいろんなことを言っている。「731部隊は鬼畜のような集団で、筆舌に尽くしがたいほど残虐で無意味な人体実験を無数に行った」みたいな意見もあれば、「731部隊はあくまで関東防疫給水部の通称であり、そもそも人体実験の事実は存在しない」みたいな意見もある。

人体実験がなかったわけがない。ただしそれは、左の人が言うように、残虐非道で無意味な殺戮に過ぎなかったのかというと、それは違うと思う。
当時、731部隊には東大や京大の出身者を含む日本のトップレベルの頭脳が集結していた。
さらにそこでは、現代では人道的な観点から行えないような実験を、知的な好奇心の赴くままに行える環境が揃っていた。
成果が上がらないわけがない。
実際、当時の日本の細菌・化学兵器に関する知見と技術は世界一だった。
ペスト菌やチフス菌をどれだけの量、どういう経路(吸入か静注か)で投与すれば最も能率よく感染させることができるのか?毒ガス(イペリット、ルイサイト、青酸ガスなど)によってどのような症状が生じるのか?効果的な致死量と投与方法は?
動物実験では絶対に得られないデータ、人体実験以外では知りようのない知見を、当時の731部隊は着々と積み上げていた。
戦後、アメリカはそういうデータがのどから手が出るほど欲しかった。
人体実験を行った研究者が戦争裁判で裁かれて死のうが生きようが、アメリカにとってはどうでもいい。ただ、とにかくデータは欲しい。あんなに詳細にして正確を極めた人体実験のデータは、戦後の平和な環境下では二度と得ることはできない。特に避けるべき事態は、データがロシア側に渡ってしまうことだ。
731部隊長の石井四郎は米軍と交渉し、データの提供と引き換えに、研究者の訴追免除の確約を得た。

人体実験がいいことか悪いことかで言えば、悪いに決まっている。
医学は、人間のためにあるのであって、逆ではない。人間を犠牲にした医学的研究というのは、本人の同意のない限り絶対許されてはいけないものだ。
それでも僕は思うんだけど、あったことは、あったんだ。
尊い犠牲から得た知見をもとに、たとえば凍傷治療に際して指を失う人が減るのであれば、その知識は生かされるべきだとも思う。
長文になってしまった。
731部隊のことについては、いずれまた稿を改めて書こう。