医学とか薬学の研究には、動物実験が欠かせないんだけど、ネズミなんかはすごく安い。
特殊な遺伝形質を持ったネズミ、っていう具合に条件を付けるとケタがひとつ増えるぐらい高くなるけど、まぁネズミは大体安い。
犬猫も安い。
でも、サルって高いんだ。一頭50万とか。
複数匹買って対照実験しようにも、これだけ高いと、よほど潤沢な経費のおりる研究機関でないと、ちょっと手出しできない。
「それなら、サルを自分たちで育ててしまえばいいじゃないか」という発想が出てくる。

1950年、ハーロウらは、実験に用いる野生の輸入マカクザルが高価であったことから、人工繁殖を試みた。
伝染病予防のため、完全衛生管理下にて仔ザルの単独飼育を行った。金属製ケージに単独で置かれた仔ザルは生後5日以内に全例死亡したが、布で覆った針金の人形(「代理母」)を入れるだけで生存率が大幅に上昇した。
また、仔ザルのケージに哺乳瓶のついた針金製の人形と、布で覆われた哺乳瓶のない人形を入れておくと、仔ザルはミルクを飲むとき以外のほとんどの時間を、布で覆われた人形にしがみついて過ごした。

そもそも、人間は(少なくとも男は)みんなマザコンで、母親のことが大好きなものだ。
「いやそんなことはない。俺はオカンのことなんか嫌いやで」なんて、いきった中学生みたいなこと言うのはやめて、堂々と認めましょうよ笑
なぜ人間は自分の母親に対して特別な感情を抱くのか?
初めて見た自分以外の生物に対する刷り込みのようなものだろうか。あるいは、すでに胎内で何らかの愛着形成が始まっているのだろうか。
これは19世紀以前から学者たちが取り組んできた問題だったが、フロイトの提出した「Cupboard theory(空腹の理論)」が定説となって、一応解決した形になっていた。
つまり、「児の母親への愛着は、食物に対する欲求の二次的なものである」という理論で、平たく言うと「この人は僕にミルクを飲ませてくれる人だ。だから、僕はこの人が好きだ」という話。

でも、このマカクザルの実験によれば、どうやらフロイトの理論は誤りのようだとわかる。
つまり、研究者は「哺乳のみならず、身体的接触およびその安心感こそが新生仔の生存に必要である。母への愛着形成は、ミルクをくれる人だから、ではなく、主に身体的接触自体によるものだ」と考えた。

さらに観察を続けた。
一度布製の代理母に愛着形成すると、仔ザルは代理母を安全基地secure baseとみなし、次第に周囲を散策するようになるが、不安になると駆け戻って、代理母に慰めを求める。
これは、人間の幼児に見られる分離・個体化の行動パターンと同じだった。
この仔ザルを、代理母から無理に引き離すとどうなるか。
その反応も、人間の分離不安と酷似していた。
まず、激しく抗議する。やがてその抗議が無効であることを知ると、絶望状態に陥り、引きこもる。そこで代理母に再開させると、激しくしがみつく。
研究者は、仔ザルと人間のあまりの相似に驚くのだった。
母を求める強い気持ちに感心し、人間だけが何も特別なのではない、という認識を新たにするのだった。

さらに実験を続ける。
代理母に細工をし、時に仔ザルを音や空気で脅かすようにする。つまり、仔ザルが代理母に抱き着くと、不快なサイレンが大音響で鳴るようにしたり、代理母から強い空気圧が出るようにする。
いわば、仔ザルに「虐待」を加えた格好である。
しかし仔ザルの愛着行動は弱まらない。むしろ、代理母にいっそう強くしがみつく。

親からひどい虐待を受けた子供のニュースをときどき見て、僕らは心を痛める。
「なぜ逃げなかったんだ。こんな人でなしの親になぜ頼ろうとするんだ。いっそ子供のほうから見限って捨ててしまえばよかったのに」などと思うんだけど、この仔ザルの実験が、その答えを示唆している。
子供は、親に愛情を求めるしかないんだ。
それがどんなにひどい親であったとしても。

さらに実験を続ける。
生まれた直後から半年間、仔ザルを完全に社会から隔離するとどうなるかを観察した。
仔ザルは指しゃぶり、貧乏ゆすりなど、常同行動を繰り返すようになり、社会に戻しても、遊びや性行動などの社会行動ができない。学習能力の発達が劣り、自傷行為も目立った。
また、そのような、いわば「ネグレクト」を受けて育った仔ザルがメスの場合、そのメスザルが妊娠、出産したとしても、自分の仔を拒絶し、育児ができなかった。

サルの購入資金を浮かせようという経済的動機をきっかけに始まった研究だったが、人間の子供がどのようにして母親に愛着形成していくか、あるいは愛着形成が不十分であった場合、後年どのような影響が見られるか、という人間の精神世界の理解に、マカクザルの研究は大きく寄与することになった。
しかし、、、
「サル相手とはいえ、ひどい実験をするものだね。研究者は胸が痛まないのか」と皆さん、思いませんでしたか。
もちろん、研究者も同じことを思っていました、
彼らも人間。母ザルから引き離されて泣き叫ぶ仔ザルを見て、大いに胸が痛んだ。
シャーレや試験管を使って細菌をいじくりまわす実験とはわけがちがうのだ。
こうした実験者側の心理的負担、それに加えて、近年の動物愛護についての社会的気運の高まりのため、現在では実験の実施自体が困難となった。

僕はかつて、精神科医をしていました。
精神科医は、人の話を聞くのが半分、薬を出すのが半分、といった仕事で、薬を出すのが苦手だった僕は病院にとって半人前の仕事しかしていない医者だったので、給料も半額にしたかったと思うんだけど笑、その分というか、患者の話は丁寧に聞いていました。
心の深いところまで話してくれた患者の中には、幼いころに親から受けた虐待を語ってくれる人も珍しくありませんでした。
親の虐待が、その子の人生に後々どれほど大きな影響を及ぼすか、患者の生の声を通じて、僕は知りました。
僕にできることは、その虐待がそのときの患者にどれほどつらかったことか、一緒に悔しがったり、一緒にもどかしく思ったりして、共有することだけでした。
体の傷は治っても、心の深いところで負った傷は、ずっとその人につきまとって、なかなか癒えることがないのかもしれません。

ただ、上記のサルの実験に関していうならば、実験にはさらに続きがあります。
親を含め社会から引き離されて、いわば「ネグレクト(養育放棄)」の状態で育ったサルは、常同行動や自傷行動が見られ、まともに社会生活できなくなる、と言いましたが、研究者は、こういうサルをどのようにして社会復帰させればよいか、という実験も行っています。
徐々に他のサルの存在に慣れさせていくことで、一年後には激しい自傷行動をしていたサルもある程度回復し、群れの中で生活できるようになった、とのことです。

人間で味わった失望は、やはり人間との交流で癒していくより他ないのだと思います。
精神科診療に携わってきた者として断言しますが、少なくとも精神科的投薬が真の救いを与えてくれることはあり得ません。
つらい人生で、こんな生きづらさを背負わせた親を恨みたくなる気持ちはわかる。
わかるだけに、気安く言いにくいんだけど、それでもあえて僕は言う。
人間に対する希望だけは失ってはいけない、と。

参考
Harlow, H.F. 1979. The human model: Primate perspectives. V.H. Winston & Sons, Washington D.C.