二十代 男性
「この病気にはずいぶん泣かされてきました。手のひらから汗が出る。まぁ、それだけと言えばそれだけなんですけどね。別に死ぬ病気でもないし、体がどこか痛いわけでもない。でもね、僕の心は死ぬほど苦しかった。この気持ちは経験した人でないとわからないんじゃないかな。
ふとしたときに、友人が握手の手を差し伸べる。その動作に応じることができないんです。びしょ濡れの手で相手の手を握るなんて、できない。だから、相手の差し出した手に気付かないフリして話題を変える、とかね。何とも妙な奴だなって相手の目に映ったことでしょうね。その視線が、何ともつらかった。相手が友愛の情を示そうとして差し出した手を、素直に握れない。そのことだけで、僕の心はどれだけ傷ついたかしれない。
試験のときはハンカチは必須ですよ。ひどい汗で、解答用紙がふやけて、下手すれば穴があいてしまいますから。ハンカチ一枚では足りないこともあります。ポケットから何かを入れては出し、の動作は、まるでカンニングでもしてるみたいに見えのか、試験監督者が僕のそばにじっと立つ。なんだ、汗かきか、と納得して、立ち去る。そういうことには慣れっこです。
鉛筆で書かれた文字って、いったん汗で濡れ、乾くと、消しゴムで消そうにも、なかなか消えないんです。汗と黒鉛が何らかの反応をしたのでしょうか。詳しいことは知りませんけど。こういうのって『多汗症あるある』だと思います。知ってる人は知っている、的な。
別に緊張している、していない、は関係ありません。
しているときは、まず確実に汗が出ますし、していなくても出るときは出ます。ごくたまに、不思議と、緊張しているはずの場面なのに出ないこともあって、僕自身、本当にこの病気のこと、わからない。もう二十年ほど付き合ってきましたけど、本当、謎です。
気温の高い低いも関係ないと思います。精神的にきついのはいつものことですが、冬は寒さがきついです。この病気にかかっていると、気化熱、ということの意味がとてもよくわかります。汗が蒸発するときに体温を奪っていきます。汗をかくことで体温を下げるっていう、人間にちゃんと備わったはずのシステムが僕の中では完全に狂っていて、真冬の寒さのなかでも手に汗かいている。手が冷えると全身が冷えます。だから、冬は本当に地獄なんです。普通の人が普通に感じる寒さ以上に、寒さが身にこたえます。
彼女とのお付き合い?とても無理です!恋愛してみたい思いはもちろんあります。でも、それは僕には決してできないことです。手を握る。肩に手を回す。そういう、二人の男女が徐々に関係性を深めていくプロセスを、僕は楽しむことができません。
人のことを好きになるには、まず、自分で自分のことを好きでないと、ということが絶対の前提としてあると思います。僕は、長くこの病気と付き合っていますけど、いまだにこの病気を抱えた自分のことを受け入れられないんです。そういう自分である限り、恋愛なんてできません。
なんというか、容姿には比較的恵まれていると我ながら思います。それで、女性のほうから僕に興味を持って、アプローチしてくれることもあります。女性のそうした勇気に、ぜひとも答えたい思いは、もちろんあります。
でも、僕には無理なんです。

医学部に入学し、四年生になって、もうすぐ臨床実習が始まります。どうなることかと、不安です。医学的手技は頭に入っています。勉強はしてますから、そういう意味での不安はありません。僕が不安なのは、模擬患者との触れ合いです。
神経系の異常の有無を見るために患者の手に触れます。消化管の異常の有無は、腹部の触診で調べます。そういう、患者の触診のときに、びしょ濡れの手で患者に触ることを思うと、なんとも憂鬱です。

手術することはもちろん考えました。わきの下にメスをいれて、神経の一部を切る手術だとネットで読みました。でも、手術には失敗のリスクがあるし、仮に手のひらからの汗が止まっても、代償性発汗という、他の部分から異常な量の汗が出る、とも書かれていました。
リスクの高いそういう大きなことをする前に、ここの病院で行なっている栄養的な治療でなんとかして頂けないか。今日はそういう思いで来ました。」

多汗症には栄養療法的なアプローチがよく効きます。
異常発汗は、自律神経(交感神経、副交感神経)の異常が原因ですから、そこを適切に整える食事指導をします。
一番大きいのは、糖質制限です。
糖質の過剰が万病のもと、と僕は思っていますが、多汗症も例外ではありません。
どの程度制限するか、ですが、これは患者の疾患の程度や、甘いものへの嗜好の度合いによります。「甘いものは私の生きがいです。甘いものを我慢して今後の人生を生きるぐらいなら死んだほうがマシです」というぐらいの人には(砂糖には強い依存性があるので、こういう人も珍しくありません)、せめて砂糖や精製糖質だけは控えてもらうようにして、果物や複合炭水化物はオッケーということにします。
「そこまで甘いもの中毒ではない、甘いものは好きだけど、今の苦しみから解放されるなら頑張る」、という人には、砂糖など精製糖質を制限するのは絶対のマストとして、もっと制限するなら、炭水化物も減らす。米や小麦を減らす、あるいは必要によってはゼロにする。果物も減らすかゼロに。
意外に盲点なのは、さつまいもやじゃがいもで、これは一応野菜という分類かもしれないけど、複合炭水化物であり、ショ糖よりははるかにマシだけども、できれば控えてもらう。制限をきっちりすればするほど効果が高い。
カフェインとアルコールも控える。
酒をどうしても飲まないといけないときには、醸造酒(ビール、ワイン、日本酒)じゃなくて蒸留酒(ウィスキー、焼酎)を飲む。
減らした炭水化物の代わりに何を食べればいいのか、というと、脂質とタンパク質です。
特に脂質はココナッツオイルやオリーブオイルを多めにとります。

こういうのは何も僕が独自に編み出した方法ではありません。ケトジェニックダイエットといって、アメリカでは割と一般的に行われています。
アメリカの人たちって、こういう健康法に非常に敏感です。
それには事情があって、あの国は保険制度が機能してないから、病気になったら財産が吹っ飛んでしまうので、彼ら、自分の人生を守るためには、病気の予防に非常に気を使わざるを得ないんです。その点で言えば、日本人は保険制度があるがために、日々の健康管理について、かなり甘えたところがあると思います。

体内に糖質があれば体は優先的に糖質を使おうとしますが、糖の供給が途絶えると、代わりに脂質を使ってエネルギーを作ろうとします。脂質の分解で生じるのがケトン体で、これ、僕が医学部で習ったのは、ケトン体は体に悪い、脳はグルコースでしか動かないから、糖質の摂取が必須だ、ということでした。
こういう具合に、堂々とウソが教えられていたわけですが、時代の変遷とともに知識は変わっていくのだから、現在という安全な場所から「ウソばっか教えやがって!」と断罪するのはちょっとごう慢だと思う。
大事なのは、ちゃんと知識をアップデートすること。
医者は柔軟でないとあかんのよね。

上記の患者さんは、甘いものが大好きで、清涼飲料水なんかもよく飲んでいました。
食事の重要性を指導し、糖質制限によって多汗症が軽快することを説明すると、彼、目が輝きました。
「甘いものの我慢って、つらいと思いますけど、できますか」ときくと、「もちろんです。汗のせいで気まずい思いをすることを思えば、糖質の我慢なんて何ほどでもありません」
人は希望が与えられると、目が輝きます。
これは比喩ではありません。本当に、キラッと輝きます。
僕が医者になったのは、そういう希望を少しでも多くの人に与えるためです。
といえばカッコよすぎますけども^^、でもけっこう本音です。

糖質制限だけでよくなる人が、6、7割。
これだけで軽快しない人にはビタミンとハーブを使います。