質問
自分でマッサージしてもそんなに気持ちよくないのに、人からしてもらうと気持ちいいのはなぜですか。
回答
「人は、自分の体内で起こっている物事に対して、鈍感です。そういうふうに進化してきたんですね。
なぜって、自分の体のなかで起こっている変化、たとえば、「あ、今下垂体からホルモンが分泌されたな」とか「交感神経が興奮して血液の駆出量が多くなっているな」なんて、自分で気付いてしまったら、うるさくてうるさくて、まともに日常生活さえできなくなるでしょう。
体内で起こる内的変化に対しては感覚を閉ざし、その代わり、自分以外から来る外的変化に対しては、敏感。それが私たちの体なんです。
試しに自分で自分の体をくすぐっても、全然くすぐったくないでしょう。それは自分でしようと思った行動であり、神経系はその動きを全部把握済みだから、刺激を感じないようになっているんです。
でも、他人から殴られたときは違います。親が子供の顔を殴った。「父さんだってな、同じぐらい痛いんだ」と言うかもしれません。
これは精神的な意味で言っているんでしょうけど、少なくとも肉体的な意味では誤りです。
物理的には作用反作用の法則で、子供の頬が受けたのと同じ衝撃をお父さんのこぶしも感じている。でも、お父さんにとって、それは予想された動きだから、子供が頬に感じるほどの痛みは感じていないはずです。
人の体に触れるときには、このことを思い出してね。
優しい愛撫も冷たい殴打も、相手はあなたが思う以上に、強く感じるものだから。」

これ、マリリン・ボス・サバントの回答。どこかで読んでうろ覚えに覚えていたのを再現したから、細部は違うかもしれないけど。
この女性は「世界一IQが高い人物」として、ギネスブックにも載っていた。「IQを正確に測定することなんて不可能だ」という批判のため、現在ギネスブックにはこの項目自体が削除されているんだけど、少なくとも「かつてギネスブックに世界一IQが高いと認められていた最後の人物」ではあるわけだ。
IQの高さだけで言えば、アインシュタインやノイマンよりも高い人かもしれない。
こんなにも頭のいい彼女が、一体どういう仕事をしているのか、知りたいと思わない?
なんと、彼女の仕事は、人生相談です。
人々から彼女のところに寄せられた悩み相談に答える。これが彼女の仕事です。
世界一の頭脳の持ち主が選んだのが、言ったらあれだけど、そこらの占い師のおばちゃんでもできるような仕事をしているわけで、これほどもったいない話も他にないと思われるかもしれない。
でも人々の悩みに対する彼女の回答を見ると、どれも含蓄がある。教養やユーモアを感じさせる回答が多く、やはり、人生相談は彼女の天職だと思う。
上記の質問についても、ああいう回答をするにはある程度医学的な知識が必要だし、ウィットも備わっていないといけない。
やっぱり、そこらへんの占い師のおばちゃんにはできひんレベルの仕事やね笑

誌上人生相談の類が好きで、よく読んでいる。
相談者の質問を読む。自分がこういう相談をされたら、どんなふうに答えるだろうか、とちょっとだけ考えてから、回答を読む。
質問者の置かれた苦境、悩みに対して、どのような対処法、処世術を提示するか、というところがこの手の記事の見もので、そこには回答者の知性や人柄、人生観がモロに出る。質問者は真剣で、回答者もそれに全力で応じようとするから、人間性を出さざるを得ないんだ。
その回答に共感することもあれば、反発を感じることもある。

北方謙三が昔雑誌でしていた人生相談には、しばしば「ソープに行け」というフレーズが出てきた。
「うじうじ悩むな、小僧ども。ソープに行け。ソープに行けば、お前らの悩みなど一瞬にして吹き飛ぶ」
どんな悩みに対してもこれで通じる鉄板の回答で、こういうマッチョな回答者、好きやわぁ笑
北方謙三といえばこのフレーズ、くらいに有名になっちゃったけど、彼、さすが作家だけあって、胸にグッと来る回答、他にもいっぱいあるんだけどね。
『試みの地平線』。今読んでも古びていない。

中島らもにとって相談者の悩みは『お題』で、そこからいかに笑いのある回答をするか、ということが彼の腕の見せ所だったと思う。ユーモアセンスのかたまりみたいな人だったけど、晩年はアルコールの海にすっかり溺れていて、読んでて痛々しい文章書いてた。ファンとしては辛かったな。

毎日新聞でやってる人生相談。あれ、高橋源一郎の回だけ集めて本になったら、絶対買うんだけどな。この人は相談に対して真っ正面から向かいあうというよりは、「僕の場合は」という具合に自分の経験を語っているだけなんだけど、最終的には一応の回答になっているという不思議な技を使う。ときには、質問者の非をズバリと指摘する回もあって、相談者に媚びない感じが、読んでて爽快。

考えてみれば、僕の仕事も、人生相談に対する回答のようなものだと言えなくもない。
問診の横道で、患者たちがふと漏らすため息。
「職場の人間関係に、もう、ほとほと疲れていまして」
「夫がギャンブルをやめられなくて」
「家にはストレスしかありません。夫婦としては実質終わっていますけど、子供もいるし世間体もあって、あえて離婚していないというだけです」
答えはないのだと思う。
でもこの、答えのない問いに向かいあって、一歩一歩手探りしながら歩いていく。
結局人生ってそうやって進んでいくしかないんよね。