病院って、季節の行事にはけっこう乗っかるもので、七夕の頃となると、患者に短冊渡して願い事を書いてもらい、それを笹に飾ったりする。
僕はああいう短冊を見るのって好きで、一通り目を通す。
人が目につくところに飾ることは患者も承知してるわけだから、人に知られたくないようなストレートな欲求が書かれるようなことってまずないんだけど、「早く退院して酒が飲みてぇなぁ」なんて書いてあるのを見て、クスッとする。

ポリクリ中の医学生として、心臓血管外科にいたときの話。
「学生くん、この短冊を見てみろよ」とオーベンが言う。
笹に飾られた一枚の短冊を見る。
「心ぞうがよくなりたい」
拙いが、本人なりに精いっぱいの丁寧さで書いたことが伝わってくる文字だった。
「これ、俺の患者だよ。来週オペがある。
心房中隔欠損症。
6歳まで様子を見たが、症状としては増悪傾向でね、手術をしようということになった。
俺は七夕という習慣についてはよく知らないんだが、この子としては、笹に願い事を書いて、神様的な何かに祈っているわけだろう。手術が成功して、心臓がよくなりますように、ってね。
手術が成功するか失敗するか、それはメッサーの俺の腕にかかっているわけだから、いわばこの子は俺に祈っている。
でも俺は神様じゃない。
君らと同じ不完全な人間だよ。
オペ中の指先の狂い一つで、手術が、そしてこの子の人生が、台無しになってしまうかもしれない。
緊張感はもちろんある。
不必要に緊張してはダメだが、変に慣れて過信に陥ってもいけない。適度な緊張を自分の胸の内の維持したまま、手技を進めていく感じだ。
方法としては確立されているんだ。
人工心肺に循環を回し、動脈を遮断する。
その間にすばやく心臓を修復する。
動脈の遮断を解除し、心拍を再開する。

同じような症例はすでにいくつもこなしているから、技術的な意味で言えば、当然慣れている。
でも、妙なことを言うようだが、心拍を再開し人工心肺を離脱したときのあの感じ、一度止めた心臓が、再びまた鼓動を刻み始めるあの感じは、いつも不思議なんだ。
いったん心臓が止まって、いわば一度死んだ人が、再び蘇生するわけだからね。
生命への畏敬というのかな、慣れてしまってはいけない感情というのがあるような気もしている。」

先天性疾患の多くは、胎内での有害物質の曝露とか栄養不良が原因で、手術の前に栄養療法を行うことで救われる例が相当数あると個人的には思っているんだけど、外科の先生の、こういう「人間」が垣間見えるような話は好きだ。

催奇形性が言われている薬、食品添加物、農薬は確かにあって、本来市場に流通しちゃいけないレベルのものが、いろいろな事情で普通に使われていたりする。
サリドマイドとか、誰が何と言おうと明らかな奇形が生じればさすがにストップがかかるけど(それでもサリドマイドの催奇形性の報告から販売中止まで、1年ほどかかった)、ちょっとした心奇形とかIQ低下とか、見た目に分かりにくい影響しか出ないなら、全く規制されていないことも多い。
最終的に、文明のツケをもろにかぶるのが、子供世代なんよね。