1580年というのは、戦国の真っ只中で、日本中が混沌としていた。http://www.geocities.jp/seiryokuzu/c1580.jpg
近畿から東海にかけてのメインどころは大体信長が抑えていたけど、四国の長曾我部は強かったし、中国の毛利陣営の結束も固く、まだまだ天下統一は遠かった。
そんななか、信長から中国平定の命を受けたのが、羽柴秀吉だった。
西進し毛利の牙城に近づくにつれ、兵士の統率力も高く、抵抗が強くなる。
正面突破の正攻法で大戦を交えるのも一法だが、それで敵方を落としたとて、こちらの被害が大きくては意味がない。
こちらは道の途中、天下統一の大目標に進んでいるところなのだ。
そこで秀吉、黒田官兵衛の助言のもと、様々な策をこらすようになった。
三木の干し殺し、備中の水攻めなど、相手の意表を突く作戦は見事に当たり、次々と城を攻め落とした。

さて、1580年。
鳥取城は2万の大軍を率いる秀吉軍に包囲された。
城主山名豊国は3ヶ月籠城したものの、ついに多勢に無勢と思い立った。徹底抗戦を主張する家臣を尻目に、単身秀吉の陣中に赴き、降伏を申し入れた。
秀吉はこれを容れた。自分の配下となって中国攻めに協力することと引き換えに、豊国の助命を約束した。
驚いたのは家臣たちである。降伏?断じて受け入れられない。
重臣の森下道誉、中村春続らは新たな城主として毛利家の家臣吉川経家を迎え、秀吉軍との対峙を継続した。
ここで秀吉、一計を案じた。
城の周辺の農民を追い込み、わざと城に逃げ込ませた。
通常、城には2000人ほどの兵士や家臣がいたが、そこに2000人の農民が庇護を求めて流入した。
当然多くの食糧が必要になるが、圧倒的な経済力のもと、秀吉は若狭から商船団を派遣し、米を高値で買い占めた。これにつられて、鳥取城の兵糧米ですら、売る者があった。
城内の20日分の兵糧の備蓄は瞬く間に尽きた。
そして、飢餓地獄が始まった。

城内の雑草はもちろん、虫も食べた。
馬や牛を食べ尽くした後は、犬、猫、ネズミさえ人々の胃袋に消えた。
それでも、兵糧攻めは続く。
空腹に耐えかねて、城から飛び出そうとする者もいたが、周囲は秀吉軍に包囲されていて、ネズミ一匹逃すことはない。鉄砲の一斉放射を浴びて絶命することになった。
留まるも地獄、飛び出すも地獄。
食えるものは、何一つとしてない。
いや、一つあった。
人間。
城から脱出しようとして鉄砲で打たれて傷を負った者に、人々は群がった。
無論、助けるためではない。生きたままナタでさばき、その肉で空腹を満たすためである。
そもそも明治以前の日本人にとって肉食は一般的ではなかった。肉を食べることにさえ抵抗感があるところ、人肉を食わざるを得ない極限状況だった。

ところで、人間は断食状態でどれくらい生存できるのか。
これについては731部隊による人体実験がある。水だけは可とする実験なんだけど、普通の水だと45日、蒸留水だと33日生存する。
水だけは飲める静かな実験室と、水も何もない阿鼻叫喚の城内とでは、相当状況が違うだろうけど、人間って意外にタフなんだね。
ブッダも修行の一環として、20日ほどの断食を何度も繰り返したというし、断食修行の最中に亡くなったというお坊さんの話は聞かない。
デトックスのために3日ぐらい断食したって、大して心配いらない。
3日食わない程度の苦しみは、苦しみのうちに入らない。
鳥取城の兵糧攻めは、4ヶ月続いた。

「私さぁ、鳥取城、登れないの」
とある場末のバーで、女が言う。
「小学校の遠足とかで、地元の子供たちはみんな登らされるの。
ちょうどピクニック感覚で登れて、久松山の頂上にある城跡からは鳥取市が一望できて、晴れた日なんかはすごく気持ちいい場所なんだけど。
でも私って、ほら、『見える』から。そういう人にはあの城、マジで無理なんだよね」
「何か霊みたいなのがいるの?」
「いるよ。たくさんいる。
遠足だから、おにぎりとかお弁当持っていくでしょ。
で、頂上で開けて食べるんだけどね、全然味がしないの」
「どういうこと?」
「私が食べる前に、食べられちゃうの。
あのさ、仏壇にお供え物としてご飯とか果物、お菓子を置くでしょ。あれはね、ただの飾りじゃないの。ご先祖さま、本当に食べているからね」

断食で難しいのは、食を抜くことよりも、復食のほうだ、という。
つまり、食事をとらないことによる空腹感は、案外すぐ慣れる。やってみるとわかるけど、「このまま何日でも我慢できそうだ」ぐらいな感じさえする。
でも一番難しいのは断食の納め方、復食で、休息状態にある胃腸をゆっくりと活動させていかないといけないんだけど、最初の一口を食べるやいなや、それまで眠っていた食欲が爆発して、一気にドカ食いしてしまったりする。
実はこれは非常に危険な行為だ。
断食が危険というよりも、この復食の失敗が危険なんだ。
リフィーディング症候群という病態がある。
慢性的な栄養失調状態にある人に、輸液などで急激に栄養補給すると、心不全を起こし、最悪死亡することがある。

城内の惨状を見かねて、ついに吉川経家、秀吉に降伏を申し出た。
自分の切腹と引き換えに、領民の命は助けてやってくれ、と。
秀吉、これを認めた。
こうして飢えに苦しみ抜いた人々は、城の生き地獄からようやく解放された。
戦が終われば、ノーサイド。
秀吉は大きな鍋に大量の米を炊き、これを飢えた人々にふるまった。「さぁ、好きなだけ、たらふく食べるがよい」と。
4ヶ月ぶりの米の味!
人々は咀嚼するさえもどかしく、大量の飯を腹いっぱいにかきこんだ。

人体はよくできたもので、栄養の供給がない状態ではちゃんと省エネモードになっている。グルコースの代わりに体内のタンパク質や脂肪を主体にしたエネルギー産生になっている。
血中のビタミンやミネラルは当然欠乏している。
そこに糖質が急激に大量に流入するとどうなるか。
血糖値の上昇に呼応してインスリンが分泌され、細胞内に糖が取り込まれ、ATP回路が回り始め、大量のリンが消費される。
また同時に、カリウムやマグネシウムが細胞内に流入する。
しかし血中には充分なリンもカリウムもマグネシウムもないし、糖を代謝するだけのビタミンB1もない。ウェルニッケ脳症から意識障害をきたす。
また、リン欠乏がATP不足に拍車をかけ、致死的な不整脈を起こす。

4ヶ月の兵糧攻めを耐え抜いたものの、その後に秀吉から賜わったこの大盤振る舞いのために死亡した人々もあったという。
解放後にこんな罠があったとは。
リフィーディング症候群というのは、断食よりもはるかに怖いものなのだ。