「幼稚園のときからピアノを習い始めて、高校2年生まで続けた。
それも単なるお稽古ごとっていうレベルではなくてね。私の青春のすべてのエネルギーを捧げるぐらい、熱心に。
毎日学校から帰ればすぐに練習するのは当然の日課で、5時間はひいてたかな。
定期的にコンクールに出て、ライバルたちと切磋琢磨してた。
誰よりも上手にひきたいって、いつも思ってた。母も協力的で、私がうまくなるためになら、出費は惜しまなかった。
小学校2年生のときに、世界的なピアニストが来日した。
その人、浅田真央ちゃんのすべる協奏曲のピアノ演奏を担当しているぐらいすごい人なんだけど、その人のレッスンを受ける機会があった。
東京のとあるホテルの一室で、通訳の人を介しての1時間の個人レッスン。ちょっと驚くぐらいの授業料だったけど、お母さん、受けさせてくれた。
ベートーベンの『エリーゼのために』を事前にみっちり練習して、それを先生の前で披露した。
もう、ダメ出しの連続。
運指法からしてなっていない、いや、そもそもピアノを通じて表現するとはどういうことか、ということから始まって、1時間のレッスンのほとんどは、そういう根本的なところの指導だった。
曲の譜面で具体的な指導があったのは、最初の5小節だけっていう笑
でもすごく勉強になったし、刺激になった。ますますピアノの練習にのめりこんだ。

それだけ練習してもね、私よりうまい人ってたくさんいるの。
コンサートに出ても、優勝はできない。
コンサートには複数の審査員がいて、彼らがどういうふうに演奏を聴いたのか、あとで評価をくれるんだけど、よく言われたのが、
『表現力はすばらしい。ただ、ミスタッチの多さなど、技術的にはまだまだ進歩の余地がある』みたいな言葉。
練習量なら誰にも負けない自信がある。それでも、技術面でまだまだ未熟だっていう。
正直、伸び悩んでた。
才能ないのかな、もうピアノやめようかな、って。
高校1年生のときに決心した。東京にある音大の先生について、週に1回、レッスンを受けよう。
それで1年、必死に頑張って、それでも芽が出ないようなら、もう音楽の道はあきらめよう、って。
1年間、仙台から新幹線で先生のもとへ通い続けた。家でも当然、ずっと練習していた。
そして最後のレッスンのとき、先生から言われた。
『プロになることだけが人生じゃない。君は音楽を通じて多くのことを学んだ。それは今度の人生を生きていく上で、すばらしい財産になるだろう』
遠回しな表現だけど、要するに、プロは無理だっていうこと。
ショックだったかって?
うーん、ショックというほどでもないのかな。
たくさんのコンサートに出ていれば、自分の力量がどの程度なのか、だいたい分かる。
才能のある人ってね、本当にすごいんだよ。ああ、かなわないな、優勝はこの人だろうな、って、審査員の結果発表を聞かなくてもわかる。
そういう人を見てきたから、努力だけでは超えられない、才能の壁があるということは、もうわかってた。
すごい人は壁の向こう側にいて、私はこちら側。練習だけでは超えられないんだろうなって。
1年間、音大の先生について徹底的に頑張ったのは、自分の才能に見切りをつけるため。
これだけ頑張ったのにダメだったんだ、もういいじゃない、ってあきらめるための1年だったから、先生に言われたときにも、ああやっぱり、という感じ。
私がピアノをやめるといったら、お母さんのほうが戸惑ってた。
『東京芸大が無理でも、せめて別の音大に行ったらいいじゃない。東京学芸の音楽科とか、他にもいろいろあるじゃないの』って、引き留めてくれたけど、私としてはもういいかな、って。
私の今の仕事?
普通にOLしてる笑
もうピアノはいいや、って思ってたんだけど、あるとき、ふと、ピアノがすごくひきたくなって。
給料ためて、電子ピアノを買った。
今の電子ピアノってすごいんだよ。一昔前の電子ピアノって、鍵盤を強く叩いても弱く叩いても強弱をつけられなかったんだけど、今のは強弱がつけられる。
音質もよくて、グランドピアノと遜色ないぐらい。
仕事から帰ってきてからとか休日とか、イヤホンつけて一人でひいて、楽しんでる。今はね、そういうふうにピアノをひくのが純粋に楽しい。
腕前はもちろん落ちたよ。『月光』の第3楽章とか、ああいう難度の高い曲は、指が動かなくて、もうひけなくなっちゃった。でもね、それでいいの」


きのう飲み屋でたまたま隣り合った姉ちゃんから聞いた話。
世の中には、すごい人がそのへんに転がっているものだね。
努力の上になお努力を重ねて、それでも超えられなかった才能の壁。
こういう壁の存在を知り、挫折を経験しても、人間は意外にあっさりとあきらめることができるんだな。
「これだけ頑張ってダメだったんだから、もういい」
そういう心境って、ほとんど「悟り」に近い感覚で、人生の中でなかなか経験できるものじゃないと思うよ。