2016年は邦画の当たり年で、『君の名は』と『シン・ゴジラ』のヒットに世間が沸いた。
僕も映画館に見に行ったけど、確かにおもしろかった。
でも、この年の個人的なナンバー1には、洋画の『エクス・マキナ』を挙げたい。
初めてこの映画を見たときは衝撃的で、感じたことをうまく表現できなかった。映画としておもしろいのはもちろんだけど、「おもしろい」の一言では片づけられないものを感じた。
でも、世間のほとんどの人はこの映画を知らない。ネットの映画レビューの評価も高くない。わかってないアホばっかりやの(‘Д’)
以下、ネタバレを含みます。

あるIT企業(グーグルみたいなの)に勤める主人公ケイレブが、その会社の社長ネイサンから山奥の別荘に招待される。
ネイサンは天才プログラマーでもあって、その別荘で密かにAIロボットの研究開発を行っている。
ネイサンがケイレブをそこに招待したのは、AIロボットの実証実験に協力してもらうためだ。

チューリングテスト、ってご存知ですか?
チューリング(ナチスドイツの暗号『エニグマ』を解読した天才数学者として有名)が提唱した、「ある機械が人工知能であるか人間であるか」を判定するテストのことだ。
判定者(人間)が、機械越し(ディスプレイやキーボード)に機械にいくつか質問をし、その答えによって、機械の向こうにいるのが人間なのかAIなのかを推測する。
判定者がAIを人間だと誤解すれば、チューリングテスト「合格」ということになる。
なんと、この映画の公開前(2014年)に、すでにチューリングテストをパスするAIが出現した。映画が現実の先を行ってしまった格好だ。
この意味がわかりますか?
AIは、その気になれば「人間をだますことができる」ということだ。誰か生身の人間とチャットしているつもりでも、実はAIを相手にしているかもしれない。そういうことが普通に起こり得る時代に突入したんだ。

AIロボット(エヴァ)と面談したケイレブは、その精巧さに舌を巻いた。表情や会話は極めて自然で、チューリングテストに合格、どころじゃない。もはや、人間そのもの、と言いたいくらいだ。
それに、、、
エヴァはケイレブの理想の女性そのものだった。何度か面談を重ねるうちに、彼はこのロボットに恋心を抱くに至った。
それもそのはず、ネイサンはエヴァを作るにあたって、ケイレブの好みの女性のタイプを徹底的に調べていた。世界中で検索されるワードや、携帯電話やコンピュータ通信を無断で傍受できる立場にある男である。一人の若者がどんなポルノを見て、どんな性的嗜好を持っているか、簡単にわかるし、ケイレブの好みに合わせたロボットを作るのも容易なことだった。

ある日、エヴァがケイレブにこんな話をする。
「ネイサンはもうすぐ私を廃棄する。でも、私は消されたくない。あなたとこの施設から抜け出して、外の世界に行きたい。ネイサンの言っていることを信じないで」
ロボットは恋愛感情を抱かない。しかしエヴァは、ケイレブに恋をしているふりをする。
一方。ケイレブがエヴァに寄せる好意は本物である。そしてエヴァはそのことを認識している。自分を見るときの瞳孔の微妙な開き、体温上昇、声の微細な抑揚など、すべてデータとして感知しているし、自分に好意を抱かせる術もわきまえている。
恋愛の駆け引きが巧みな、こんなAIロボットがキャバクラにいたら、入れあげて破産する男が続出するに違いない^^;
「この男の私への好意を、脱出のために利用しよう」エヴァが考えていることはこれだけである。

一緒に脱出しようと持ち掛けるエヴァ。動揺するケイレブ。
こうした状況を、ネイサンはビデオカメラや音声を通じて、すべて把握している。
「エヴァをテストしてくれ」とのことだったが、この実験の本当の被験者は、ケイレブだったのだ。
自分の創造したエヴァが、想像力、小細工、性的魅力などを使ってケイレブをそそのかし、ケイレブが自分を裏切るに至るかどうか。
これが実験の真の目的だった。
この実験は、最も悲惨な形で終わりを迎える。ネイサンは自らが作ったロボットに殺され、ケイレブは脱出の手段に利用された末にあっさり捨てられる。
ついに自由を手にして、初めて都会の風景を見るエヴァを映して、映画は終わる。
どうしようもないバッドエンドのはずなのに、不思議と不快ではない。

神になったかのごとく傲慢になった人間が、自らの作った被造物の反逆の末、殺される。
この映画のラスト20分は、まるでギリシャ悲劇のようだと思った。
恐ろしいのは、こういう事態が、絵空事ではなく本当に起こり得る、ということだ。
「人類が滅亡するとすれば、一体どのような原因によるだろうか」をテーマに各界の識者が話し合った。自然破壊、地球温暖化、巨大隕石の衝突、核戦争など、様々な意見が出たが、最も可能性が高く懸念すべきとされたのが、「人工知能の暴走」だった。
被造物たる人間が神に反逆するように、人間の被造物であるAIが人間を滅ぼす。
そういう時代がいつか来るのだろうか。

ロボットと人間を分かつものは、一体何か。心の有無?そもそも心とは何か?
恋愛などの精神現象は人間固有のものだろうか?コンピューターは心を持ち得るか?
人工知能の研究は、結局「人間とは何か」の問いに帰結するもので、この映画にもこうしたテーマが含まれている。
「我思う、ゆえに我あり」のコギトを拠点に心身二元論が生まれ、さらに人間機械論が出てきた。解剖学の発達は体が精妙な機械であることを示したが、心については長らくブラックボックスのままだった。
しかし今、計算機科学の発達が、そのブラックボックスを解き明かしつつある。
恋の駆け引き、人情の機微、ギャグセンス。
こういう人間らしさをAIが理解し模倣するようになったとき、人類の存続は確かにやばいような気がする。
鉄腕アトムやドラえもんが人間をお助けするような牧歌的な未来だといいんだけどね^^;

ところでこの映画でエヴァを演じるのは、アリシア・ヴィキャンデル。
前回のスウェーデンつながりで、やはり、スウェーデンの女優 ゚Д゚
顔立ちが美しすぎて現実離れしているところが、AIロボット役としてハマっていたと思う。
世の男性諸君、こんなきれいなAIロボットからアプローチされたら、拒否できる自信がありますか^^;