村上春樹の『アンダーグラウンド』は、地下鉄サリン事件の被害者に著者自身が直接話を聞いて、それをまとめたインタビュー集だ。
被害者たちは、自分自身の体験を語っている。
「酸のようなにおいを感じました」
「それは刺激的なにおいではなく、ちょっと甘い感じのする、何かが腐ったみたいなにおいでした。でもまぁ座れるんだから多少臭くてもいいやという感じで、そのまま座席に座りました」

サリンは無臭である、というのが化学文献の教えるところである。
しかし被害者たちは、上記のように、自分たちが地下鉄で遭遇した異様なにおいのことを克明に覚えている。
被害者たちがウソの証言をしているとは考えられない。
この本を読んだ人は分かるだろうが、著者の描写は非常に客観的で、著者は被害者から話を引き出すだけの黒子に徹しているような印象を受ける。
ありもしなかった臭気をあったと嘘をつく理由は、被害者にも著者にもない。
被害者は、ただ自分が感じ、見聞きし、体験したことを語っているだけで、村上春樹はそれを淡々と拾い上げただけだ。

とすれば、疑問が浮かぶ。
地下鉄で使用された毒ガスは、本当にサリンだったのだろうか。
実際には何らかの別の化学兵器が用いられたのだが、何らかの事情で、サリンが使用されたということに便宜上なっているだけではないか。

上九一色村にあった第7サティアンはサリンの製造プラントだったとされている。
しかし、サリンの製造には高度な設備が必要で、排気設備もない第7サティアンでサリンを作ることなど不可能だ、と内外の専門家が指摘している。
毒ガスに詳しい専門家によると、被害者の症状はサリン中毒と合致しない。視野狭窄、瞳孔収縮、けいれん、鼻や口からの出血。これらの症状から使用された毒ガスを推測するならば、それはタブンである。
また、科捜研の化学検出班の誰一人として、使用された毒ガスがサリンだとは証言していない。いまだに誰がサリンだと証言したのか、わかっていない。
使用された毒ガスがサリンであれタブンであれ、それらを製造する施設さえ持たない教団は、一体それらをどういった経路で入手したのだろうか。

オウムが関与した一連の事件には未解明の部分も多いが、結局未解明のまま、教祖と6人の幹部に死刑が執行された。
解明できなかった、のではないと思う。解明されては不都合だ、と思っている人が権力上層部にいて、全容の解明が阻まれた、というだけのことだと思う。
オウムの闇に迫ることは、実は芋づる式に、日本の闇に迫ることにもつながっていて、非常に大きな話になるようだ。

個人的には、そういう真相には大して興味はない。
このネット時代、そういう興味に答えてくれるサイトはたくさんあるから、各自検索すればいい。
でも、医学的な事柄が関わってくることに関しては、できるだけ正確な事実を知りたいと思っている。
毒ガス兵器で攻撃された患者を診察することなんて、医者人生でまずあり得ないことだとは思うけど、それは松本市でも東京でも実際に起こったことなんだ。
何が起こってもおかしくない時代なんだ。
それが医学的なことに関係している限り、できるだけ真実が知りたい。
医学部や製薬会社の提供する知識を真に受けて、患者に害を与えるだけの医療を実践するのは、個人的にはもうコリゴリなんだ。
医学的な真実。患者の体に何が起こっているのかについての正確な把握と、その適切な治療法。
僕が興味があるのはそこだけだ。