森毅先生が「天才は育てるもんやなくて、育つもん」って何かのエッセーに書いてた。なるほど、特別科学学級なんかなくても、勝手に育っていくのが本物の天才かもしれない。
ただ、教育はやっぱり重要だと思うのね。教育を通じて人々を愚民化させることも、原理的には十分に可能だろうし。

ところで、どうでもいいような話だけど、今の季節、静電気がもうたまらない。
ドアノブをさわったときにバチッとくる、あの痛み。別に、激痛というわけではない。軽く不愉快を感じる程度なんだけど、1日に何度もバチッときて、しかもそれが毎日続くと、「学習」という現象が起こる。
ドアノブに触れる→バチッ→不愉快
パブロフの提唱した条件反射が、自身の脳回路に形成されたこと自覚する。
ドアノブをさわる直前に身構えるようになり、やがて、ドアノブをさわることに恐怖を感じるようになった。そしてついに、自分のクリニックのドアを、ドアノブにさわることなく、肩で押して開けるようになった。
それでも肩にバチッとくるときがあるのだから、本当にもう、イヤになる。

オルダス・ハクスレーの小説『すばらしい新世界』。
2049年、世界は10人の統制官がすべての国民を支配する完全な管理社会になっている。人間は受精卵の段階から培養・選別され、階級ごとに知能や体格が決められる。
人間養育施設の一室に集められた生後8ヶ月の赤ん坊たち。室内には美しいバラをいけた花瓶がいくつか置かれ、床には本やおもちゃが散らばっている。赤ん坊たちが元気にハイハイしながら、部屋の中を自由に動き回る。
おもちゃにふれると、ナースがすかさずレバーを押す。けたたましい警報音が鳴り響き、赤ん坊は恐怖に身を縮める。本にふれると床に電流が流れ、赤ん坊は痛みに泣き叫ぶ。美しいバラに近付くと、不快なサイレンが響き渡る。
こうした作業を200回ほど繰り返すことで、赤ん坊のなかに恐怖と痛みの記憶が刷り込まれる。彼らはもう二度と、本と花に近付かなくなる。
施設を見学する学生が、管制官のひとりに質問する。「本に対する恐怖を教え込むのはわかります。下級カーストに教養を与えることは体制にとってリスクです。彼らを無知蒙昧に保つことで管理が容易になります。しかし、花に対する嫌悪を植え付けるのはなぜですか」
管制官が答える。「ふむ、いい質問だ。そう、花に対して個人がどのような感慨を抱こうが、当局の体制維持にとっては関係ない。しかしね、自然を愛好するような精神は、社会の生産性にとって無価値なんだ。花を見てのんびりして、ろくに働いてくれない、となっては困るんだな」

静電気のようなごく微弱な電気で、僕のような成人にも、ドアノブに対する条件反射が形成されるんだから、赤ん坊に本や花への嫌悪を植え付けることは簡単にできるだろう。結局人間の価値観とか好き嫌いというのは、条件反射の積み重ねのことなんだな。
逆に、本への選好を植え付けることも可能だろう。本を読むことが好きになった子は、周りに言われずとも、勝手に学び続ける。そうして磨かれる知性は、しかし、上級カーストにとって厄介極まる代物に違いない。
『すばらしい新世界』というタイトルは、もちろん皮肉である。作者がこの本の中で描いているのは、人間が人間性を奪われたディストピアだ。
とにかく、考えない人間を作ること。仕事をさせて富を収奪し、余暇は3S(セックス、スポーツ、スクリーン(映画))に耽らせて、余計なことは考えさせない。病気になれば病院に行って、黙って医者の言うことを聞いていればいい。妙なことは考えるな。人心を惑わす情報を発信しているウェブサイトはしっかり取り締まれ。
あれ?
フィクションのはずの『すばらしい新世界』が、最近着々と実現しつつあるような、、、